今日は101回目のブログ。
きりよく6月1日です😊✨
昨夜からズキズキ、ズキズキ右の腰が痛い。
原因は多分これ。
大量のポールズの花がらを切りながら、
剪定もしているのです。
ちょうど脚立が危なくて立てられない場所があり、塀に右足をついて背伸びしてぶっとい枝をフンフン言いながら切っていたんです。
不安定な姿勢でいきむことほど腰に悪いことはない…。
なるだろうなと思っていたらきました…。
市販の痛み止めも食後毎に飲まなきゃ効かなくなると、ズレたサイン。
なので行きつけの整骨院に行ってきました。
徒歩で…。
いや〜、痛いんじゃないのかって話なんですが、
身動きできないくらいじゃなければ基本歩くのが整骨院の先生の弁。
覚悟を決めて歩いてきました。
目的地までは5キロほど。
リハビリの基準による目標タイムは1時間行くか行かないか程度。
(※1キロ=11分程度)
道すがら神社もあるし、ここはご当地神社のことを調べつつ歩こう!
というわけで出発!
歩き始めて5分で早くも腰痛が…😭
いや、小指に集中したら行けるはず!
と自分に言い聞かせて歩きました。
まず通りがかったのは砂原天神社。
もともと、草津川の治水と疫病平穏のためにこの場所にお地蔵さまがおられ、
その後、1840年に村の人たちがある場所の天神様の御旅所として御神霊を祀ったのがこの神社の成り立ちであると書かれています。
お地蔵さまもこの神社の本殿の東側におられました。
美しく整えられていて、村の人たちに大切にされている神社という感じがします😊✨
こちらは安羅神社。
成り立ちを読むと慶雲元年とあります👀‼️
おおお〜
慶雲とは704〜708年の間に使われた年号です。
分かりやすくよく知られている話をすると、710年に平城京遷都です。
だいたいその辺だと思っていただければ。
ああ、天上の虹!!!!(←そばこの大好きな持統天皇を主人公にした漫画)
慶雲元年の3月、この地に午頭天皇(※石碑には天皇と表記されていました)が降臨され、ここにおまつりする事になったようなことが書かれています。
午頭天皇とわざわざ書かれているので、ここでは素盞嗚尊のことかな?と思います。(祭神の一つなので)
そして後の興国5年の3月に鈴鹿から速佐須良姫神と天満天神を勧請合祀した、という記述。
興国5年というのは、1344年のこと。
征夷大将軍は足利尊氏(室町幕府)、天皇は南北朝時代なので二人おられる時代です。
この辺りは元暦(1184〜1185年)の書物にも近江の名所と書かれていたそうです😊
当時はどんな風景だったのでしょうか?
とても美しく、地域の人たちに大切にされているんだなぁと思いました。
さて、目標タイムより15分過ぎたところで目的地の整骨院に着き、ガッチャンガッチャンと腰のズレを治してもらってきました。
行きつけのパン屋さんに行って美味しいパンを食べ、
近くの雑貨屋さんで大好きなりんごのすり下ろしの瓶詰めを買い…
帰宅。
ヨーグルトは自作しているのですが、このりんごをたっぷり入れて食べるのが美味しいんですよね〜〜〜
あと、ミネストローネとかカレーに入れると美味しいのです😊✨
今日はいっぱい歩いて、歴史的な場所に行くことができ、
腰痛もすっかり治って…
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨復活✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨
今日もそばことみなさんにハピラキいっ〜ぱいふりつもる〜☆