今日は風があって気持ちの良いお天気でした。
今日の琵琶湖…
いつも万歩計&カメラ用に使っているiPhoneを忘れてしまい、ガラケー(実はこっちがメインです)で撮影。
何で肝心の琵琶湖が写っていないかと言うと…
画面が半分指で占められていたからでした(笑)
さて、21日目のワークをすべく、イメトレしていた時のことです。
イメトレの後半に唐突に降り注いだ感覚がありました。
その名も
「なんとかなる光線」
そばこのイメトレって大体は無価値感、自己肯定感の欠如がテーマになるんですよね。
なのでチャクラのヒーリングも大体最後は愛のヴィジョンみたいなのを(イメージで再現して)体感していったりするのですけど、その時は突然このモワ〜ンとした何かが空から降り注いできたのです。
はじめは何かモワ〜ンとして何かもったりした何かが上から来たぞと言う感じでした。
そのモワ〜ンはまるで布団のような、分厚いホットケーキのような程よい重みと程よい柔らかさ、程よい厚みを感じるものでどんどん重なっていくのです。
そしてなんか薄黄色い色をしている…。
愛のヴィジョンも安心するしあったかいけど、これはまた別の感覚だなと思い、しばらく味わっているとどうやら「なんとかなる光線」という名前らしいことが何故か分かる(笑)。
そ、そばこのハイヤーセルフ…。
と、突っ込みたいところはあれど、もうこれは「なんとかなる光線」以外の何ものでもないものだと確信し(書いてみると笑える)、もう何枚でももってきんしゃいと構えて味わい切ったのでした。
後で思い出してみると、21日のワークでそばこのブロックの中身は大きな「不安」でした。
自分の考えをはっきりさせてハイヤーセルフに委ねた結果が「なんとかなる光線」だとしたら、GJ!まじでGJ!
んでもってヴィジョンが黄色っぽいと言うことはやっぱり3チャクラの問題なのです。自信がない。ここに「なんとかなる光線」をガンガン当てていこうと言うことなんですねぇ。
そう言えば6年近く続けているアファメーションでも「なんとかなる」は言っているなぁ…。と思いつつ、ようやく「なんとかなる」感じってこう言うことなのかも知れないと思ったそばこでした。
さて、30日のワークは22日目です。
今日のテーマは「権力争いを癒す」です。
権力争いは、展開していく人間関係にとって大きな問題の素です。
権力争いを超えて進む道を見つけなければ、関係は深まらないと言えます。
多くの人が真剣な関わりに身を投じることを恐れている理由は、競争意識にあります。
競争意識による微妙な形の権力争いから生まれる戦いや無感覚を「自分にはとても乗り切れそうにない」と思うのです。
権力争いの中にいると、相手のことを「自分の欲求を満たすためだけにこの世に生まれてきた」などという存在だと思ってしまいます。
まだお互いの関係性が出来上がる前だと、これは隠されていて表に出では来ません。
関係性が進んでいき、権力争いが生じる段階になるとこの感覚が浮上していきます。
その時、自分のやり方が「最も正しい」と信じ、物事をその通りに運んでいこうとします。
相手に「私のやり方に従うか、去るか」という選択を迫ります。お互いの支配権をめぐって戦い、自分の自立性を最優先に保とうとして戦います。
自分の欲求をまず先に満たす。そのために戦う。
権力争いという状態とは相手に自分の欲求を満たさせるための戦いと言えます。
何故、相手のやり方に従うのを恐れるのでしょうか?
それは子どもの頃の体験にあると著者は言います。
相手が望むような行動を取って傷つき、打ちのめされた記憶がこの恐れを生むのです。
傷ついた時、「二度とあんなことはしない」「もうあんな攻撃を受けたくない」と心に誓っています。
そのため、相手の欲求通りに行動するかどうかは、自分の昔の感情が蘇ってくるため、自分にとっては生死をかけた問題のように感じてしまい、戦おうとするのです。
さて、仕組みがわかったところでその競争や権力争いをどのようにして解決するかです。
まずは、この競争や権力争いは物事の進展を遅らせるものであると気づくことです。
具体的に何を遅らせているのかと言うと、
「自分が一歩前に踏み出し、問題を解決、お互いの欲求不満を癒そうとする瞬間」
を延期しようとしています。
こうして人同士が欲求不満について争っている時、本当は自ら前に進むことで欲求を満たしていくことが相応しい解決方法なのです。
ですが、お互いに相手に満たしてもらおうとすると解決はしないでしょう。
相手を押さえつけて自分の欲求を満たせば、相手はとりあえず負けとなります。
ですが、結局それは自分の魅力を失うことになり、結果的に敗北することと同じくらいのツケを払うこととなります。
負けた相手は当然「犠牲になった」状態になります。
そうなると今までのワークで学んだ通り関係に無感覚が生じるようになります。
…そう、結局、勝っても負けです。
どちらも勝つという状況を本気で望んでみましょう。
(※そもそも勝ち負けの二元論から出るようなことを書こうとしているように見えるのですが、訳文がそうなっているのでそのまま書きます)
あなたは人間関係にある恐れを後生大事に守りますか?
人生の次の変化に向けて前進するのを避けるために権力争いを利用するのをやめましょう。
楽に充実した気持ちで一歩を踏み出すことができます。
自分にGOサインを出しましょう。
説明ここまで。
こういうセラピストの著書には二元論のブロックを外すことが結構書いてあることが多いのですが、この辺りは英語と日本語のニュアンスの違いなのか、
著書では
勝ち負けのない→両方勝つ、100%両方勝つ
というふうに表現されています。
中庸ってneutral、って言う感覚なんでしょうか?
わざわざ両方勝つと書く理由は、やっぱり生まれた国とか文化とかが関わっているのかな?と思ったりします。
勝ことにこだわるのなら、どっちでもないと書くより、「どっちも勝つ」と書いた方が読者に伝わるのかも。
さて、今日のワークです。
あなたが今戦っている、あるいは過去に戦っていた相手について注意深く考えてみましょう
①どんな一歩踏み出すのを恐れていましたか?書いてみる。
②恐れからどんな新しい才能や新しいレベルに背を向けましたか?書いてみる。
その一歩、その才能、その新しいレベルは今もそこで待っています。
自分自身のため、そして愛する人たちのために、その才能・レベルを喜んで受け取りましょう。
あなたの踏み出す一歩は天恵によって目の前の人(友達、仲間、家族、パートナーなど)にも与えられます。
③自分は誰と戦っているのか書く
④自分は何が怖いのかを書く
⑤「わたしは最高を受け取るに相応しい存在です!」と宣言する
以上です。
今日は質問が非常に分かりづらいなぁ。
そばこだけでしょうか…?
どんな一歩って???
新しいレベルって…???
やっぱり原文もLevelって書いてあるのかなぁ。
そこで、そばこは珍しく辞書を取り出した✨テッテレー
「level」
1水平面
2文化や学問、技術の水準、(比較した上での)高さ
3地位
など…
ここで言うニュアンスは2とか3とか?
もっとできるはずなのにブロックによって制限をかけているところがあるかどうかって言うところなんでしょうか。
そういえば今日は朝のウォーキングの前に飲むスムージーにニンジンを入れました。アボカドが切れていたので…。
んでもって、昼ごはんを食べるのに食欲がなく、昼もスムージー。
朝は1/2本でしたが、昼はバナナもなかったので丸々1本を打ち込んでスムージーに。
ニンジン、キウイ、レモン、トマトジュース+豆乳+オレンジジュース+アカシア蜂蜜でミックス。
いやぁ、なんて言うか…食べたのにお通じが良すぎて全部出て行った(笑)。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨訳本は謎が多い…✨