そばこのハピ☆ラキ工房

モンハン歴14年☆心身ともに元気な狩人増加による世界平和の実現が密かな野望…☆

30日のワーク23日目


今日は曇り空で過ごしやすい気温の一日でした( ´ ▽ ` )


明日から長野に行くので、先月ヘルメット頭になった髪型を補正しに行ってきました。

養生園のカットイベントも感染拡大の懸念か日程が更新されなくて寂しいなぁ。


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謎のイラストはイメトレの時の自己愛のヴィジョン。

ほわーんと安らぐ…


30日のワークは23日目。

今日のテーマは「倦怠を変容させる」です。


誰かと親密になると、しばらく(この期間は人によりけり)は自分の持つ素晴らしいものを相手に与えようとします。

しかし、ある時点でそれを使い果たしてしまうのです。

次の段階では相手に与えるものがないので、相手には自分の苦しみを与えるしかありません。

苦しみを相手に与える時、相手と自分の間に溝を作らないように意図したなら、お互いの間には信頼や貢献が生まれ、親密さがさらに深まるだろう、と著者は述べています。

(ここ、著書での最大の謎訳)


ですが、気持ちを抑えて苦しみを相手に与えたならば、自己の保身のために防衛が働き、倦怠が生まれます。


関わりにおいて倦怠が生まれる原因は犠牲にありますが、何故そのパターンに多くの人が陥るかと言うと、犠牲は愛と錯覚しやすいからです。

犠牲とは、与えるだけで受け取らない状態です。

ちなみに愛とは与えながら受け取ることです。


受け取らず与え続けるので、燃え尽きてしまい、倦怠に陥るのです。


受け取ることで新しいレベルの与え方に導かれます。


犠牲的行動を取るのは、自分に価値を置いていないからです。

自分に価値を置いていないと、自分の欲求や願望のためにお金や時間を相手のために放棄して犠牲になります。


相手に与えるものは犠牲しかなくなるという状態になります。


犠牲は自分を罰する状態ですから、罪悪感を償う絶好の手段となります。

犠牲的になると、自分を捨て、相手の個性によって人生を進めてもらおうとしますが、関わりに刺激や喜びをもたらす触れ合いや親密さが失われます。


犠牲とは受動攻撃性の一種です。

相手との接触を止め、気持ちの表現を抑えるのは相手を単純に攻撃するのと同じくらいの威力があります。


「誰かに利用された」

と訴える時、実は自分が前に進まないで済むように、相手を利用している状態なのです。


犠牲が生じた関係は上手くいきません。

関係はどんどん泥沼化するでしょう。それも状況に妥協あるいは順応する一つの形とも言えます。


本当は率直で正直なコミュニケーションが状況自体を癒し、解決する必要があります。

犠牲が生じたままだと、結局双方が敗北感を味わうことになるでしょう。


説明ここまで。


関係性が進んで、ポジティブなことばかり話しているのではなく、ネガティブなことも共有できるようになるとお互いの信頼関係は進展しますよね。


「苦しみを相手に与える時、相手と自分の間に溝を作らないように意図したなら」

と言うのはそう言うことかなと解釈しました。


敢えて苦しみを与える事によって関係を親密にする、ということに相互にギブアンドテイクが生じる状態とはなかなか表現に困るところかも知れません。


さて、今日のワークです。

めちゃ長いです。今日


①あなたがあえて周囲に意思を伝えていないことは何か、書き出す


そうした気持ちを進んで分かち合いましょう。

自分の感情には責任を持ちます。

自分を癒そうという意図のもとで分かち合ってはじめて感情は変化します。


誰かを感情的にコントロールして思い通りに動かすために感情を利用しても決して上手くはいきません。


時には、自分の体験や気持ちを分かち合うと相手にダメージを与えてしまわないかと恐れ、躊躇う場合もあるでしょう。

ですが、物事を打ち明けずに表面的な安全を保つことは無感覚を生み出します。


例えば、パートナーの言葉遣いが気になったとします。

それを相手に伝えたら、関係はそれがきっかけで終わるかも知れません。


ですが、それはあなたがリスクを受け入れて、新しいレベルのコミュニケーションを手に入れるチャンスになるかも知れないのです。


そのようにして感情の動揺や無感覚に責任を持って対応して行くのです。

自分自身が、そして自分と誰かの関係性が生き延びるためには、それらを癒していきましょう。


あえて表現を差し控えていることこそ、関係が成長するために向き合うのです。


心の奥に隠された重要なことを伝え合い、誰かとそれを乗り越えていくことで、倦怠を超えて再び活気ある関係性が生まれます。


②犠牲は全て、現在または過去において、あなたに対して正しく振る舞わなかった者に対する恨みが土台になっています。

本当はあの人はこうあるべきだった、と示そうとしている試みが犠牲なのです。


・子ども時代から今まで自分を犠牲にした状況を思い出せる限り書き出し、隠れた恨みを見つけましょう。


③現在においての犠牲とは、怖くて直面できないものを避ける手段の一つです。

例に従って状況を整理してみましょう。


)

犠牲私は同僚のためにしたくないことをしたり、与えたりしている


現在の恨み利用されているように感じる


過去の恨み母親のせいではないかと思う。

母親はいつも私がしたくないこと母親のためにをすると、褒めてくれたから


自分に価値を感じられない。何故かと言うと、自信がないし、自分の考えを誰かに言ったりすることが(意味のあることかどうか気になって)すごく怖いと思うから


状況が伝えてくれた口実自分は同僚と母親を自分の意見を言わない口実に利用した


④解決法は、伝え、許し、選択することです。


伝える相手のそれぞれに自分が彼らのために犠牲を払ったと感じることを伝える。

あくまでその感情には責任を持ち、彼らを責めないようにする。

犠牲とは自分を成長させないように他人を利用することだったと言うことを忘れない。


許す関係者全てを許す。

許しは双方を癒すことになります。

ハイヤーセルフに手伝ってもらいましょう。


「二人とも自由になるために、私は〇〇(相手のまた名前)を許します。」


(※宣言でもいいかなー)


選択する自分が役割・義務・犠牲のモードに入っている分野は、それが期待されているから与えるのではなく、ただ自らに自由に与えることを選択すれば純粋に「与える」行為に変化します。


ここまでがワーク。

④は本当の実践なのでは


当たり障りの無い関係は楽だけど、真剣に人同士が関わる関係を望んでいるなら行動を起こしましょう、と言う感じの内容でしたね。


無感覚というのはこのワークでは結構出てくるワードです。

当たり障りない、と言うのは見た目は穏やかかも知れませんがその関係性の傘下にある人たちはみんな犠牲になったり、役割を演じているわけです。


和や平均を大切にする日本の教育を受けている我々からすると、この無感覚というのは日常の状態なのかも知れません。

無感覚状態は、お互いを傷つけ合っているようなもので、この状態ではポジティブな関係性は育たないということになります。


友達や仲間、家族やパートナーなど、親しい間柄でこの無感覚が生じていると、言うまでもなく、ということになります。


今ある人間関係の悩みは過去の罪悪感とか犠牲とかが原因と言うならば、家族の中で無感覚状態があったのだろうと推測できます。

過去に、非生産的で一方通行な犠牲があった故に、現在もなお同じ思考による行動を繰り返し、悩みが生じる。


過去の傷を癒すことで現在の傷を癒す、というのはここにあって、原因が分かってその過去の傷を癒すと、今起こっている現象が違って見えてくるのです。


あれ?前は同じことを言われたらめっちゃムカついたのに、今はそうでもないなぁ


って思えることが増えてくる。


ただ、そばこの経験上、「許し」というのもこういう心理療法でよく出てくるワードですが、これだけは各々過程が違うように思います。


そばこは長年この「許す」で大変悶えてきました。

一口で許すと言うものの、上手くいかない時はいかないのです。

許すことができない自分が許せず、どんどん自己嫌悪に陥り、罪悪感ばかりが増幅していく。


どうすることもできずに悩んでいた時に、矢野惣一先生の一言が刺さりました。


「嫌いな人のことを無理に許すことはない」


許すことができなければ前に進めない、前に進む資格もない、自分は薄情でダメな人間だとずっと思っていたけれど、今すぐではなくちょっと待ってもいいんだとやっと思えたのでした。


一気にできなくてもいい、と自分を許すことからだと思って休憩し、結局許しというビジョンに辿り着くまで18年かかりました。

今思うと、自分にはこれだけの年月が必要だったということだったと思います。


いじめや虐待、パワハラなどもこういう療法にかかると結局自分が引き寄せているという結論になっちゃいますよね。

現実は自分が作っている、ということなので。


それって、なんて残酷な答えなんだろうと立ち竦むわけです。

ですが、更にその人たちを許さないと前に進めないよ、と言われる訳です。

葛藤があって当たり前です。


憎いんだもの、恨んでるんだもの。

許したら被害者の自分を見捨てるみたいに思えるし、二度負けた気になりますよね。


だってにんげんだもの!(みを調で。)


ただ、憎しみや恨みはどれくらい自分をポジティブな方向に前進させたのか?と問われると確かに大したことはない。


虐められないように、パワハラされないように、本音を抑えて従順になるか、何も感じないように心を無にするか、誰とも関わらないようにするスキルって、あんまり前進力はないよね。

そして、一生懸命スキルを使っているのに、何故か転職しても同じ目に遭う。


このループから抜け出すには、やっぱり無意識の思考パターンを変えるしかないってことになるんです。

俯瞰的に今までの自分を振り返って、時には同じ目線で向き合って、対話を続けるうちにこのままじゃイカンなと気持ちが固まってくる。


やならければならない、というところから、やろうと自発的な気持ちになるまではできないような気もします。

その時が来るまではできることをやればいいし、やってもいいなと思ったら途中まででもやったらいい。


全部ちゃんとやらなくてもなんとかなる光線がたぶん、なんとかしてくれるはず(笑)。


それくらいの大らかさで自分を見守れたらいいなと最近思うようになりました。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨なんとかなる〜✨


 ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨

いっ〜ぱいふりつもる〜☆