今日は寒かった〜〜〜!
雪もちらついてましたし…。
そばこは年末から続いているアレルギー治療を旅の途中若干サボっていた(薬の副作用で脚がすごく浮腫む)からか、戻ってから症状がぶり返してしまい…
浮腫んでもいいから服薬しないとやってられない状態。
なんか薬を変えても全然治ってきている感じがしない…。
自己流で漢方飲んでた方が痒みが治まっているような気さえする。
病院を変えようかなぁ。
または漢方薬局に行こうかしら…。
ではでは、金刀比羅宮参拝レポの続き。
琴電琴平駅のすぐ近くに高灯籠があります。
この高灯籠は1860年に完成したもので、日本一高い灯籠です。
丸亀には鎌倉時代から港があり、水運の要となっていました。
丸亀港にも助燈籠という灯籠があります。
江戸時代にはこんぴら参りが盛んに行われていたようです。
そもそも、こんぴらさんは戦国時代に長曽我部氏の讃岐国侵攻により、荒廃し古い記録が消失しています。
その復興のために金毘羅大権現の信仰を広めていく必要があったということでしょう。
そのエピソードとして、江戸時代の初期に金光院院主の宥光と言う人が参拝の土産物に◯金の印を入れたうちわを作るというアイデアを思いついたという話があります。
大和国からうちわ作りのために技術者を招いたりしたそうです。
お土産屋さんには今でもこの◯金印のうちわが売られています。
江戸時代中期には金毘羅大権現の信仰は庶民の間にまで広がっていきます。
各地で金毘羅講が組織され、こんぴら参りが盛んに行われるようになります。
浮世絵の東海道五十三次や、東海道中膝栗毛にもその様子がえがかれています。
奉納も多く行われ、石碑を収めるために参道が曲げられたそうで…。
(本来は真っ直ぐだったそうですよ〜〜〜!)
江戸時代後期には、由加山神社本宮が同じ権現である喩伽権現を祀っていることからタイアップ企画『両参り』が成功し、その後西大寺(岡山県)を加え、『三所参り』をすすめたり…。
昔にもこういう企画があったんだなぁと感心しました。
境内でエンドレスでかかっていた『金比羅船々』は江戸時代末期から歌われ始めたそうです。
賑やかな参道を歩きながら、こんぴら参りを江戸時代の人々が楽しんでいたんだろうなぁと想像してとても楽しいお参りでした。
お正月紀行から戻ってから痒みに耐えきれず服薬を再開して、浮腫が日に日にひどくなり、膝が痛いので歩くのも結構辛い。でも痒いから薬を止められない…。
今日は辛くてお休みしていました。
昨日、参拝レポで飛びましたが、昨日のウォーキングで出会ったにゃんこ。
丸いお顔がキュート💕
先日の旅でご一緒したYさんから貰って直ぐにハマったこのみみのナッツ。
早速注文して…
美味しいんです〜〜〜
めっちゃ美味しいんですぅ!
1日1袋にしないと危険です!美味しすぎて!