今日は火曜日♪大岡越前DAY〜( ´ ▽ ` )✨
今日のゲスト出演者は加藤嘉さん✨
うるうる目がチャームポイント♡
3日間の振り返り②です。
では、自分はどうしたいのか、この関係性をどういうものにしたいのか。
自分にとっても、
相手にとっても
いい関係性とは何なのか。
目の前の出来事に対して起こる感情は、自分の過去のトラウマに起因する感情なので、基本は目の前の誰かのせいではなく、自分の中に理由があります。
で す が !
ここで
これは単に自分がこうしたいから、自分の言動や行動に相手がどう思うかは自分とは関係ない(それは相手の問題)ので、基本自分本位でいいとか言うのは、
この性質を単純に解釈しただけなのでご注意。
(「嫌われる勇気」とか流行りましたよね…)
最終的には自己愛に結びつかないので。
これってある意味、侵入とも取れますしね。
※これについての考察は別の日のブログに書いてます
そばこが思うに、結局自分の需要を満たすために、他者に侵入したら、やっぱり知覚していない部分に影響があるって思うんですよね。
例えば、「私は自分の全てを曝け出してありのままで在りたいから、あなたもそうして!」と相手に頼んだとする。
でも、相手は「自分の本当に大切にしたい部分は相手に見せたくない」と思っている。
そういう相手にズイズイ自己開示を強要する圧をかけると、相手は本質的にその望みを拒否しているので、エネルギーに押されてやっぱり相手は辛くなり、離れていく。
結局関係性を良くしようとして望んだことが、関係性をギクシャクさせてしまっているってことですよね。
話を戻して…
自分に立ち戻って考えると、例えばいつも揉めて傷ついたら相手との関係を断ち切って自分は消えるという選択をしていたとする。
ですが、相手と繋がらないまま関係を断ち切る以外の選択肢がちゃんとあります。そもそも、断ち切る以外の選択肢がないというのが変。
※とは言え、断ち切ることも選択肢の一つではあります。たくさんある中でそれを選ぶことも当然できます。
相手や場面は違えど、何度も関係性の中で直面したこの問題。
結局、自分はどうしたかったのだろうと掘り下げをしていくと、
「ただ相手を大切に思っていると分かって欲しかった」
→ひっくり返すと、自分自身にも「自分を大切に思っていると分かって欲しい」と思っている。
(何故なら、この出来事が起こってしまうと最後は「自分の存在の瑣末さを嘆く」に入り、無価値感に苛まれ、只管自分を責める)
「ただ、相手がいることに安心安全を感じたかった」
そんな感じ。
愛することに安心安全を感じたいと思うことって、とっても大切なことです。
それが叶わなかった子どもの頃の声に耳を傾けて、共感的に理解する。
でも、今は大人だから、本当にしたいことをしようと意図を立てる。
まず、「安心安全に関係性を続けていく」と意図を立てました。
そのためにはそばこも相手も安心安全を感じる必要がある。
次に、そのためには何を相手に伝える必要があるか、です。
引っかかる部分が「嘘」なので、「信じること」にフォーカスする。
自分自身の「信じる」ということに対する信念体系に注目すると、「全てを信じる」という盲目的な信用がそばこにとっての「信じる」になっている。
あなたの全てを信じる!っていろんな物語の感動の場面に出てきますよね。
この自分の判断の全てを相手に委ねて、どんな結果があってもそれを受け入れるみたいなニュアンスが美しい愛だと言う風に描いています。
ん、待て。
物語だから成立することですよね…。
ここで注意したいのは、この全てを信じるって言うのが、どこから来たのかって事です。
昨日までのそばこの幼少期の体験を振り返ると、この「全てを信じる」は子どもの頃、親しい大人たちへの全幅の信頼が元になっています。
生きていくために親しい大人たちに頼るしかない子どものそばこが、ただ只管信じているだけなのです。
大人になったらどうでしょうか。
生きていくために盲目的に相手を信用するって言う必死のニュアンスって、大人になっても持ち続けるのか…。
全てを信じると言うことは、相手の言動・行動の全てにおける自分の感情や思考を手放すってことですよね?
どんなことでも受け入れるんですから。
相手の行動の全てに自分の責任を丸投げしている状態です。
大人になった今は、経験も知識もあるので、全部を信じることは相手を見ていないということかなと思います。
Aくんは算数が得意だけど、国語はメチャクチャ苦手。Bくんは国語が得意だけど、算数はメチャクチャ苦手。二人ともとっても明るくていい人です。
目の前に社内報の校正をする仕事と、未処理の領収書の束があります。
AくんもBくんも、両方預けてください!と言います。
二人ともとっても良い人だし、信頼できるけども、
Aくんの算数が得意なところを信頼するけど、国語はちょっと信頼できるとは言えないよね。
Bくんの国語が得意なところは頼りにできるけど、算数はちょっとね…。
だから仕事は二つを一人に渡さず、分けて得意なものをそれぞれやってもらおう。
これが、大人の信頼ってやつかなと。
これって全部を信じていて、片方に全部預けて失敗があったら、何だかんだ相手がいい人でもガッカリしますよね。モヤモヤする。
そんならちゃんと相手を見て、どの部分に関して信用するのか、どの部分は難しそうなのか考えることが大人の思考ということになります。
そばこはこの信じることへのトラウマを子どもの頃の自分に戻ってイメトレで癒し、それによって生じた誤解を解きました。
目の前の相手に「嘘をつかれた」「裏切られた」と感じた時、相手のどこを信じていてそう思ったのかもう一度考えます。
そうすると、目の前の相手との過去のやり取りから、信用できる部分とそうでもない(判断が揺れやすい)部分があることが分かってきます。
そうすると、「そうか、そうだったのか」と納得できるんですよね。
例えば、同世代の人に頼まれると割と自分の意思ではっきりYES・NOが言えるのに、年上の人に頼まれると途端に言えなくなってしまうみたいな…。
それはそこに相手の何らかの過去のトラウマが有るのかもねと思えるわけです。
そばこの場合は、意図に沿って…
素直に今どう思っているか相手に伝えて、その上で相手の選択を尊重すること、どんなことになってもただ相手を大事に思っている気持ちは変わらないということを伝えました。
そして、嘘については…
そばこを慮った上であっても、気持ちを偽られることは信じて貰えないと感じてすごく悲しいので、自分はこうしたいと思ったなら、そばこを信じてできる限りでいいからそれを話して欲しいと伝えました。
後で少し話をする機会があったので、今までのお互いの思いを話し合って、すれ違っていたこと、誤解していたことがあったということに気づけました。
お互い「相手はこう思っているかも知れない」と思い込んで、行動していたことがたくさんあって、そこで齟齬が生じていたんだなと分かりました。
そばこは自分が嫌だなと思うことはしないので(今回の問題について、自分がしたいことはするけど、したくないことはしないとハッキリ伝えた)、相手が「そばこが本当は嫌々していたんじゃないのか」という危惧を取り払うことはできたんじゃないかと思います。
そばこもこの誤解を解けてよかったと思っています。
目の前の相手を大切に思うこと、大切にしたいと思うこと。
だからこそ、相手の選択を支持して応援すること。
自分のここまではするけどこれ以上はしないという境界線を決めること。それを相手に伝えること…。
こうやって簡単に書き上げてみると大したことは無いかも知れませんが…
勝手なイメージの中で悶えて、勝手に諦めて、自分の中に閉じこもって、もう何もかもヤダ!と放り投げるか、
モヤモヤしたまま耐えに耐えて、病気になって強制リタイヤするか、
というパターンが多かったそばこにとって素晴らしい学びでした。
ここで毎日心の動きやイメトレでしてきたことを辿ることによって、整理でき、少しずつ心の大波が穏やかになっていくのを感じることができています。
子どもの頃のトラウマって膨大な数があるので、出てくる度に感じ取って繋がらないとふっと消えてしまうことがあります。
ああ、何だっけ…前にこんな感情を感じた出来事…!
その時何を感じてたんだ…?何を思っていたんだ…?
思い出せる時もあればうまくいかないこともあって、もどかしい思いをすることも。
一旦片付いても、またしばらくすると似たようなことが起こることもあります。
それはステージの変化があって、また別のステージで同じ問題に取り組む時期というのがあるんだなと思い、その度に同じことを繰り返していくしかないというのが自分の癒しの道なんだとつくづく感じます。
今回苦しかったけど、そばこに癒しのきっかけをくれたみなさんに心から感謝します。
胸を引き裂くような身体感覚を乗り越え、何日も涙を流し続けて、それでも過去の自分と繋がり続けた自分にもありがとう。
そして、手助けをくださったみなさん、この世界の全ての愛に感謝します。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨癒しの道をいく✨