今日は久しぶりにカウンセリングセッションを受けてみました。
最後にセッションを受けたのはもう7〜8年前になるでしょうか。
今やっている心理学講座でのコーチングの練習とかでは交換セッションはしますが、お金をお支払いして受けるセッションはいつもと違う感じがしました。
今までのそばこなら、誰かに何とかして欲しくて駆け込み寺のようにカウンセリングやセラピーを利用していたかも知れません。
最後のセッションを受けてからずいぶん経ち、そばこ自身もいろんなことを学び、自身で癒しの道を探し続けるなかで、セッションにも自分軸を持って臨めるようになったと思います。
今回は自分の掘り下げを少しして、身体感覚を確かめながら過去のトラウマの場所へ降りて行き、子どもの頃の感情に繋がって、何が起きていたのかをしっかり確認することができました。
ナビゲートしていただけると本当に安心して辛かった場所に降りて行けるし、突然やって来るかもしれない身体感覚にも恐れずにいることができました。
変容を「見届けてもらう」と言うのは改めて意味があると思えるセッションでした。
そばこの経験で言うと、シータヒーリングでプラクティショナーが行う「見届ける」に今日していただいたことはとても似ていて、自分の中で過去に繋がって、その過去のトラウマを癒して今に戻ってくる。
今の自分なら何ができるのか確認する。
シータヒーリングやイメトレは一人でもできるので、セルフでやっているとこの見届けると言うのは客観的にはできません。まぁ、一人なので。
イメージの中で自分が変容したイメージをして戻ってくる感じです。
気になったら筋肉反射テストをして信念体系が書き換わったかを確認するくらいです。
そばこは今まで一つずつ浮かび上がって来る毎に、シータやイメトレで自分の信念体系や過去のトラウマにアクセスして書き換えやイメージによる癒しを行ってきました。
随分心は軽くなったし、癒しの道を探す前よりはずっと楽にはなりました。
でも、やっぱりステージが変わると新しい問題も出てくる。
今まで一人で出来たことでも、誰かの助けが必要になることもある。
今回は助けを求めることを自分に許可するという大切な意味もあったんじゃないかと感じています。
過去のトラウマにアクセスしている時、いろんな感情がどっと湧いてきました。
怒り、憎しみ、悲しみ、悔しさ、絶望感、無価値感…それを通り越すと、生きていても無駄だとか、もう死んでしまいたいとか、そう言うところまで。
そのトラウマの原因になったのは、そばこにとって最も身近な家族たち。
荒れ狂う真っ黒な感情と、いつまでも尽きず止めどなく溢れる涙。
でも、そんな中にもやっぱり愛はありました。
愛があるから、信じたいと思っていた。
いろいろなことを取っ払って、最後過去から戻ってくる時に、それでも私はこの人たちを愛していたと心から思うことができました。
ただ、自分の中に愛はあると思えるだけで、とても楽になりました。
そんな感じで、今日のセッションは終了。
寄り添ってくださったセラピストさんに心から感謝しています。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨素晴らしい気づきでした✨