今日はお休み✨
綿みたいな雲だなぁと思って撮った写真✨
りんごぉ〜のはなびらがぁ〜〜〜♪
りんご追分のセリフに出てくる「綿みてぇな雲」はもっとぽっかり浮いてるので塊になった雲かな?と思うけど。何となく脳内でこの歌が再生されました♪
本日の琵琶湖。
昨日の自分クリーニングでめっぽう疲れたらしく(笑)、今日はゆっくりしていました。
歩いたり、上さまを見たりしてました。
日曜日は暴れん坊将軍Ⅱが放送されています。
今毎日放送がある方の上様はシリーズⅠ。
シリーズ1違うだけなのに、Ⅱの上さまは何だかふくよかになっている気がする(笑)。
本日の目玉は何と言っても特別出演の淡谷のり子さん( ´ ▽ ` )✨
アイシャドーーーーーーー!!!
と画面の前で歓喜のそばこ。
御家人斬九郎のお母上もなかなか濃ゆいアイシャドーで素敵です(笑)。
まぁどぉー あけれ ヴァ〜〜〜♪
淡谷先生のお元気なお姿を拝見できました…✨
さて、
昨日の自分クリーニングで、自分の中に残っていた最後の執着はエネルギー的にも剥がれていったような気がします。
執着とは言え、ものすごく拘ってしがみ付いていたものなので、体が軽くなったことに驚いているのかな?何だかフワフワしている感じがします。
ただ、単純に自分にとって良いことをする。自分にとって嫌なことはしない。
それだけの話なのですが、今まで生きてきて、色々な行動や思考のパターンがあって、それによって自分にとっての〝普通〟や〝常識〟が形成されていて、そこから外れることは自分を犠牲にしても許さない自分がいたりする。
それを自動的にやってしまう自分がいる。
あっ、嫌だな…でも今までの関係性があるし、嫌われたら困るし…
仕方ない、今は我慢しておこう。
困ったなぁ、本当は嫌なんだけど…
自分が次困った時に助けてもらえるかも知れないから、言うことを聞いておこう。
本当は嫌だと言いたけど…
この人に言ったら言わなきゃ良かったって言うくらい反発されるから…
面倒だし黙っておくか…
こんなこと、今までに無数にあると思います。
仕事だったら、友達だったら、家族だったら、恋人だったら…
色々な身動きできない理由を自分で作って、我慢する。
この我慢って、自分の中に確実に溜まっていく。
そして、思いがけないところで爆発して、自分にも手に負えないようになる。
この我慢をどう忍耐に変えていくことができるのか。
全部受け取らないで言うことってできるんだろうか。
または、この我慢を我慢と感じなくなるようになるんだろうか。
まぁ、自分がやりたいからする、という方向になれば、我慢そのものは存在しなくなりますよね。
我慢はそばこにとって非常に重要なキーワードです。
我慢にいろんなことがくっついていて、全部が我慢と関係ない。
我慢したからって得られないものばかりです。
生育歴の中で何かを得るには我慢することしか方法を確立してこなかったっていうのが原因。
このすっかり出来上がってガッチガチになった信念体系を一つひとつ見つけて、気づいて、その信念体系を作り上げた当時の自分に立ち戻ってきちんと対話して手放す。
途方もない話ですが、そうしないと我慢のループからは抜け出せない。
心って、本当に広大で果てしないなぁと思います。
愛と我慢は違う。
我慢することが愛を示す方法ではないし、
我慢をすることが愛を得るたった一つの方法ではない。
そして、外から愛を得るよりも、自分自身の内にある愛に気づくこと。
自分自身への愛を育てて、自分を大切にすること。
自分自身の内に愛があることに気づけば、誰かから愛を得るために必死になることはない。
愛は自分が自分に与えて、その溢れた分だけが誰かにちゃんと届く。
自分が枯渇している時にする行動は、結局相手から愛を得ようとしている防衛。
だから、いつまでも自分を満たすことができず、相手をも疲弊させてしまう。
本当に自分が欲しがっている愛は、自分自身からの愛だと気がつけたら…
…いいんだけど。
先週のワークで、いつも諦めて待ってしまうこと、いつも何かしら我慢してしまうことについて掘り下げしました。
悲しみや怒りの下に、屈辱感がどっしりと存在していました。
身体が捩れるようなこの屈辱。それを感じまいとしていました。
私は、相手を愛しているから待っている。
私は、相手を愛しているから我慢する。
私は、相手を愛しているから黙っている。
でも、そもそも愛と我慢は全く違う。
一生懸命自分を「それは愛のためだ」と誤魔化して、心も身体も無理矢理に従わせていた。
本当は身が捩れるような屈辱がそこにあったんだと、気がついて、本当に申し訳ない気持ちになりました。
明日は不安についてワークしようと思っています。
今、ときどき不安です。
原因はゲームを休んでいることです。
納得して自分のためにゲームを休んでいます。
納得しているはずなんですが…ときどき不安になります。
ゲームに限らず、続けていることを止めることにそばこはとても不安を感じます。
例えば、筋トレやウォーキング。
本当はしたい時にやればいいんです。
毎日やりたければ毎日やればいいし、今日は休みたいなと思ったら休めばいい。
これは何なんだろうと考えると、やっぱり子どもの頃の事かなぁと思うんですよね。
そばこは中間子なので、妹でもあり、姉でもあります。
なので、妹としても、姉としてもその立場を理由に我慢をしてきています。
妹だから我慢しなさい、姉だから我慢しなさい。
兄は長男として特別な存在でしたから、
妹として、兄より親や祖父母の愛を得たい、と思う気持ち。
妹は小さい頃から病弱で、難病だったので、
姉として、妹より家族の愛を得たい、と思う気持ちがあったんだと思います。
多分、そばこの兄や妹も同じような気持ちを抱えていたんじゃないかと思うんです。
兄だって、そばこに家族を、特に母を取られたと感じていたと思うし、
妹だって、家族に頼られたり信用されるということをそばこに取られていたと思うんですよね。
これらは兄と妹それぞれの課題なので今は置いておくとして…
(他人の感情のお世話をしないのがそばこの今の課題の一つ)
家族から特別に思われたくて、兄や妹のしないことや出来ないことを見つけて、家族の役に立とうと必死に立ち回ってきました。
そのために必要な努力もたくさんしました。
でも、どんなに頑張っても、家族にとってはそばこが容易くそれをしていると思っていて、ちっとも褒められない。認められない。
何故、そばこが毎日しているお手伝いを、兄や妹がたまにやるだけでこんなに褒められるんだろう。
そばこは毎日しているのに…
何故、そばこがお手伝いを1回断っただけで、こんなに叱られるんだろう。
兄や妹はそもそもお手伝いをしないのに…
もっと、もっと頑張らないと認めてもらえない、大事にしてもらえない、褒めてもらえない…
やればやるほど真新しさがなくなって、
(当たり前になってしまう)
新しいことをするほど続けていかなければならないことが増えて、
(止めたら怒られる)
また我慢しなければならないという荷物ばかりが増える。
ずっと不思議でした。
何故、兄はあんなに家族に不機嫌な姿を見せても平気なんだろう。
そばこは家族に嫌われたくないからそんなことできない。
何故、妹はあんなに我儘放題なことができるんだろう。
そばこは家族に嫌われたくないからそんなことできない。
何故、彼らはあんな風に振る舞えるのか。
何故、そばこは家族の中でいつになっても窮屈さを抱えているのか。
何故、家にいるのにこんなに不安なのか。
いつも自分が役に立つことをアピールしないと、不安でそこに居られないんです。
ただ、そこにいることに少しも安心できない。
ただの子どもでいることが本当に怖かったんですよね。
子どもでも、兄や妹とちょっとでも違うことをしないと、家族に相手にしてもらえないってずっと思っていたってことです。
なので、やってきた努力って、不安からくる防衛なんです。
大人になってから、親に自分の努力が全然伝わっていなかったことが分かって愕然としましたけど…
不安からの行動だったから、伝わらなかったんだねってすご〜〜く残念だけど、今は分かります。
本当に誰かの役に立ちたかったんじゃない。
嫌われないように、
捨てられないように、
怒られないように…
そこからの行動だったんだって、よく分かります。
明日はそんな感じでワークをしようと思っています。
もしかしたら別のものが出ちゃうかも知れないけど…。
この機会にたくさん自分の心に気づけたらいいなと思っています。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨心を探究する✨