今日はお休み✨
先日から作っていたくるみボタンのブローチが無事完成。
数を確認したら13個必要ということが分かり…人数分作ることができました。
明日と明後日のリフォーム教室で、恒例のクリスマスプレゼント交換があるということなので、その時に一緒に配ってもらおうと思っています。
どれが当たるかはお楽しみです♪
割と組み合わせを考えるのが楽しくて、ハマってしまったブローチ作り。
刺繍とかできたらもっと楽しいんだろうなぁと思いながらWebで作品を閲覧していました。
くるみボタンとかに使う用の小さい刺繍枠とかもあるみたいですね!
いいな〜
刺繍やりたいなぁ〜( ´ ▽ ` )✨
あとはいくつかアクセサリーの修理の依頼があったので、一気に全部仕上げて午前中は終了…。
午後は久々に日曜日のモンハン昼活をしました。
しばらくやっていないライズのイベクエ中心に遊ぶ感じです( ´ ▽ ` )💕
一昨日~昨日と、掘り下げしています。
子ども時代に起こった出来事によって、愛や信頼に関する部分に誤認を持ったとします。
誤認を持ったままそのまま大人になり、その誤認を持った時と似たような感情や思考、場面、体の感覚などが再び起こるような出来事(刺激)に対して、再びその時の感覚感情(反応)が蘇り、脳みそは多分、
ごにんのもと が あらわれた !
コマンド ?
ごにんのもと は ネガティブワード を となえた !
テレレレレレ(効果音)
ネガティブ ワード は そばこ の こころの きずを しげきした !
そばこ は かんじょうてき はんのう に のみこまれた !
そばこ は 「にげる」いがい の コマンド が つかえなくなった!
っていう状態になっています。
※「」の中は刺激によって変わるとでも思ってください。
RPG風に言ったらこんな感じ。
感情的反応はEmotionnal Reactionのこと。
まぁ、RPG風に言うとステータス異常状態ですな。
反応中は、過去に起こった何らかのトラウマになる出来事の中で、過去の自分が感じた通り、行動した通りの対処法しかできなくなります。
なので、大体似たような結末を迎えます。
自分は何に対して、いつどんな風にそんな誤認をするようになったのかを辿っていく必要があります。
子どもの頃は、愛は純粋でまっすぐです。
ある意味、自分のことしか考えられません。
愛を得ることが生き延びる術なので、愛を否定されることは子どもにとって死と同じくらいの恐怖や不安を生みます。
例えば、
愛を何らかの理由で否定された時、愛する人に悪意が生まれ、
子どもはその悪意に罪悪感を持ちます。
罪悪感を持ち続けることができず、またそれを見たくない、無かったことにしたいということで、潜在意識に押し込んでしまう。
そうすると、以降愛する人に対して無意識の悪意を抱くようになる。
潜在意識に押し込まれているので、人を愛する気持ちが起こると、何故か逆の感覚がわいてくるようになる。
愛しているのに、居心地が悪い、疲れる、離れたくなる…という状態になる。
この潜在意識に無理やり突っ込まれてしまったものをもう一度引っ張り出して、顕在化する作業(掘り下げとか、セッションなどで)によって、無意識の領域で自分が選択していたものを理解して、別の選択をするという行動がコマンドに追加されるようになる。
ここでコマンドが増えると、今まで通りの行動にしようか、別の行動にしようか、選ぶことができるようになる。
ステータス異常中にはもう自分でコマンドを選ぶことはできない。(自動選択・または使い古された1つの方法のみ)
でも、別の方法もあると気づけること、別の方法を選ぶことができると気づけると、やっと葛藤らしきものが生まれて、本当の意味で「どうしよう?」と迷えるようになる。
あまりにトラウマに近いとか、そのトラウマが強烈だと、迷うこともできずに自動的にいつもの選択の波に流されてしまうってことですね。
そばこは2日の掘り下げで、他人に嫌悪を抱くことにものすごい恐怖を感じていることが分かりました。
なので、感じないように一生懸命防衛しています。
基本的にお互いに嫌い合っていいことなんて何一つありません。
全然楽しくないし、ワクワクしないし、ただただ居心地が悪くて自分まで嫌いになってしまう。
エネルギー的にもお互いにサイキックアタックを無意識に飛ばし合って、考えたくないのにお互いのことをネガティブに考え続けている状態に陥る。
(嫌いなアイツを思い出していて「なんであんなやつのことを考えちまうんだ!」とムカついているとき、相手も自分のことを考えているんだそうです。)
そばこは父と折り合いが悪くて、決裂してから19年間話をしませんでした。
父は祖父と仲が悪くて、20年くらい祖父を精神的に虐待し続けました。
父が祖父を言葉の暴力で攻撃している時、心の底から気分が悪くて父のことが大嫌いでした。
祖父が亡くなってからも、そばこは父の存在が許せなくて、ずっと恨み続け、憎み続けていました。
家を出ていた期間もありましたが、同居の間は声を聴くだけでも胸がムカつく、イライラする、一挙一動全てが許せなくて、物音にも嫌悪を感じていました。
憎しみの感情にいる間、何もかもがつまらなくて、虚しくて、自分が生きてる理由すらよく分からなくなってしまったりしました。
苦痛だったのは、家族に父を許して受け入れるように何度も怒られたこと。
ただ、家族だから許すように強要されたことが本当に嫌でした。
そのたびに反抗して、「家族だけれど、ただ父という人間と関わりたくないという自分」を放っておいてほしいと思っていました。
家族だから何でも許す、という感覚は家族全体にあって、そばこはいつもその特有の空気がどうしても受け入れられず、家族から浮いていました。
父が祖父を虐待していたという点に嫌悪を感じていたので、そばこは威嚇したり、怒鳴ったりするんじゃなく、ただ、無視しました。
そこにいないものとして父を扱いました。
イメトレで30日のワークに取り組んでいた時、遂にこの自分と向き合う時が来て、長い間、自分もそして父も苦しんできたことをあらゆる角度から一気に体感しました。
感覚、感情、思考、エネルギー…そして何か説明のつかない感覚(たぶん霊性)。
とにかく、本当に嫌悪や憎しみの中にいることは、最も本質から離れていて、ひたすらに苦しい、命を縮めるほどのことだったということが分かり、
心から「もうやめよう」と思えました。
長年の無視は本当に父のエネルギーをガッツリ削っていたらしく、心からの反省をしながら、再び関係性を構築することを決意し…1年が過ぎました。
初めの頃は言葉に露骨にビクビクしていましたし、そばこの言葉そのものが耳に届いていない状態が長く続きました。
言葉をかけること、関わり続けることに何度も挫けそうになりながらも、チャレンジを続けて、最近ようやく単語の会話をできるようになってきました。
自分のしていることは何なのか、一体何を感じているのか、それは自分にとってどんな意味のあることなのか…
知るということは、それを本当にどうするのか(続けるのか、止めるのか)真の意味で選択することに繋がると思うのです。
前置きが長くなりましたが、憎しみの生み出す世界がどんなに恐ろしく、辛く、痛く、虚しいものなのか、体験的に知っていることもあり…
嫌悪→憎しみになるという流れを考えると、人を嫌うことがとても恐ろしいと感じているんですよね。
あの時の地獄をもう味わいたくない、と思っている。
なので、誰かに対して嫌悪を感じそうになったら、感じまいと感情を押し込めようとしている状態に入るわけです。
大人になって、健全な形で嫌悪を持つとは、どういう感じなんだろう。
持たずに生きることはできるのかなぁ。
人類全部を好きになる必要はないけど…。
どうしたら好き嫌いの二元性から離れることができるんだろう。
今週の課題はその辺になりそうです。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨火曜日にセッション受けます✨