今日は通学84日目✨
昨日の気づき記録の続きです。
分からない、待ってもらえない、
その時(特に権威者に対して)感情を持ったり、出したりすることを諦めたり、
我慢をする事で切り離した自分がいたことが分かりました。
置いてきぼりにされた子そばこはずっとそばこに怒っていたし、悲しんでいたし、理不尽で、絶望感を感じ続けていたってことですね。
そして、今ここで分からない自分を待てないのは、
過去の自分の目の前にいた母ではなく、
今目の前にいる先生でもなく、
自分自身なのだと気付きました。
猛烈にできない自分を許さない自分。
早くできない、
失敗してしまう、
エラーの原因を探せ出せない、
何故できない?って自分を責めている。
あ、待てないのは私なんだ。
私が自分を待てないんだ。
だから、余裕は自分の中にある。
外の時間の流れには無いんだ…。
私が自分を待てば良かったんだ…。
失敗しても、今できなくても、私が自分を待つことができれば大丈夫なんだ…。
やっぱり、その先にあったのは愛だし、期待に応えたくて、努力してきたのも愛だし、
理不尽だと思っても応え続けたのも愛だし、
切り離したのも自分への愛や、自分の意見を言う勇気。
自分には直向きな愛と、素直さ、勇気をちゃんとそこにあったと再発見することができました。
その後、唐突に何かが蘇る感覚がありました。
勉強会の後の振り返りにあった
「一番になりたい」
と言う子そばこの満たされなかった感覚。
あれ、
一番だったんじゃないの?
って…
上のきょうだいだから、〇〇しなくてもいい、
下のきょうだいだから、〇〇できなくても仕方ない。
そばこにとっては望んだ形とは違っていて、真っ直ぐに届かなかったかも知れないけど…
ある意味大人と対等に扱われていたと言う部分においては、信頼されていて、一番だったんだと気がついたのでした。
兄は兄で一番だったし、
妹は妹で一番だったし、
そばこはそばこで一番だったんだと。
他のきょうだいにはしない相談をされたり、
他のきょうだいのことを相談されたり、
他のきょうだいには教えないことを教えたり、
そばこにしかない経験がやっぱりあったんだと。
今更ですけど💦
何か、反応に気づいて立ち止まるって本当に大事なことだなと改めて思います。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨お試し、起こってる!✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨