今日は通学89日目✨
昨日、カウンセリングの後、めちゃ反応が起こり…
あーーお試しさっそく来た!
ってなりつつ、ひたすら感情を感じて、深呼吸を繰り返す😮💨
夜、友達とゆっくり話して、別なことを話しているのに少しずつ整理されていきました。
名古屋の勉強会の後のお試しはとにかく「怒り」。怒りにフォーカスしまくり。
カッと来て、ギューンと頭が沸騰する感じ、
イライラから少しずつ温度が上がってきて、煮えたぎっていく感じ、
寂しさや悲しさがあって、そこから怒りがふつふつ湧いてくる感じ、
いつまでもシコリのように怒りがお腹に残る感じ…
いろんな怒りがあって、
自分から抜け出したり、
カッと来たまま言い返したり、
物に当たったり…
だいたい、自分はここにいるのに、存在を無視された!
って言うところから始まる。
ここが引き金。
諦めて抜けたり、
すぐにやり返そう(ここにいると相手に分からせよう)と攻撃に転じたり、
大きな音を立てて(ドアを勢いよく閉めたり)怒りを表現しようとしたり。
でも、今までのやり方では事態が好転することは無かった。
とにかくこの定番のやり方以外のことをしようと思って考える。
やり返そうとしたり、怒りを外に表現する理由は相手に自分が怒っていることを分かって欲しいから。
もう二度こんなことをして欲しくないから。
相手が怒ったり、やめてと言うことって、伝えたらもうされないってのは単なる思い込みで、
自分は少なくとももうしないか、気をつけようって思うんだけど、それはあくまで自分だけの感覚。
ハイ、残念なお知らせ。
一度としてこのやり方で家族に怒りが伝わったことはありません。
もうしないでってお願いも伝わったことはありません。
だから幼少期から何十年経ってもずっと同じことでムカついてるんですもん。
驚くほどに他人は変わらない。
どんなにお願いしても怒っても喚いても、病気になっても変わらない。
多分、極端なことを言うと、そばこが死をもって訴えても家族は変わらないと思います。
すっごく残念なお知らせですけど。
それくらい他人を変えるのは難しいし、不可能なんだなと思います。
話を戻すと、怒りの中にいる時、自分は相手に自分の存在や感情を分かってほしいと思っているわけです。
結局、それが自分にも向いていることだとしたら、そばこ自身が自分の存在や怒りの感情を分かって欲しいと思っている、ということです。
なので昨日はひたすらこの湧き上がりトグロを巻く怒りを感じてました。
そうだ、怒ってもいい。
好きなものを否定されたり、
馬鹿にされたり、
人格を否定されたりした時は、怒ってもいいんだってそれが親でも家族でも、怒っていいんだと子どもの自分に伝える。
怒りや憎しみがあってもいい。
その時怒りや憎しみを感じても、別に家族に対する愛を持つこともできる。
怒りや憎しみを感じたら愛を持ってはいけないと言うのは子どもの頃の自分がした誤解なんだと気づいて誤解を解く。
怒りや憎しみはそれでしかなく、
愛は愛でしかない。
怒ったり、憎んだからと言って愛が無くなったり、愛する資格を失うのでは無い。
(↑が最大の恐れ)
だから、怒りや憎しみは持っても怖くない。
愛は別の場所にちゃんとある。
ただ感じるものだって少しずつ落としていく。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨よけいなものはイメージだと思うの✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨