今日は引き続き、積み本読書です。
一昨日の夜、再びヘソに異変があり、痛みのあまり眠りから覚めてしまうほどで…
和歌山への旅の前に受診した時に貰ったお薬を飲むことにしました。
そばこは抗生物質服用でかなり体調が悪くなります。
一緒に胃腸薬をいただいて凌ぐのですが、口の中がものすごく変な味😭
ずっと胃が気持ち悪い…
ゼリーとか炭酸水とか飴とかで紛らわせています。
そんなわけで、気を取り直して…
そばこが今学んでいる心理学でも、このワークでも、
基本的にセッションとは自分自身の中にある本質に気づくためのものです。
それは、誰かにこうだよと教えてもらうことではありません。
セッションでは、その場所にたどり着くためのサポートをするだけです。
目の前のセラピストやヒーラーはそれをサポートする、オンラインゲームで言うとクエスト同行者という感じです。同行者を差してフォロワーと言っているゲームもありますね。
あくまでクエストを受注し、そのために主体的に行動するのは自分なのです。
そして、何よりも大切なのは、何もかもが自分の中にあるということです。
答えも、理由も…
大切なことは、答えや理由を知って問題の解決法を作り上げることがゴールではなく、
長い間葛藤の中で切り離し続けた自分自身の本質に気づくことだということです。
セラピスト・ヒーラーとクライアントという関係性ではありますが、両者は指導者と生徒という関係ではありません。
自分の内側には教えてくれる自分自身がいるということです。
本書でも、著者がセンションの前に「私のいうことを信じないでください」と前置きすることがあると書かれています。
それは、クライアント自身にとっての真実を見つけて欲しいという意図があるとのこと。
今日読む1章では、ワークの基本的な考え方について①〜⑥のように述べられています。
①自分の考えが現実と闘っていることに気づく
②自分自身の領域に留まる
③自分の考えを理解する
④自分のストーリーに気づく
⑤苦しみの背後にある考えを突き止める
⑥問いかけ(探求)
①は現実の出来事に対して、勝手な評価や決めつけ、〜すべき、〜ねばならないという思考に囚われている状態に気づく、ということ。
著者が言うには、我々が感じるあらゆるストレスは、あるがままの現実に異を唱えることから引き起こされるらしいです。
現実に対して外側の世界の方が変わってほしい、変わるべきだという要求は、叶うことがないってことですね。
それを期待し続けても叶わないからイライラする。
実際に起こってしまったことは、起こるべくして起こったことで、
その現実はもう帰ることができないのでそこを拘ってアレコレ闘うことを一旦止めてみませんかってことです。
敢えて漢字を闘うにしているところがミソですね。
闘うことを止めたといっても、それは容認していることとは違い、起こった出来事をありのままに見てみようということらしいです。
不測の事態に陥ったとして、現実に起こったことに対して頭の中で現実と思考がバトルしていても何も問題は解決しないと著者は述べています。
シンプルに、現実と闘うとしんどい。
何故なら、どうやっても変えられないから。
なので、闘っている自分に気づいたら、ちょっと立ち止まろうってことですね。
自分の領域、他人の領域、そして神の領域。
神の領域とはつまり現実のことです。これは前述の通り誰も変えることができない領域です。
ストレスの多くは、頭の中で自分自身の領域から離れた時に生じると述べられています。
他人の領域に入り込むとは、
例えば、他人に対して、一方的にあなたは〇〇した方がいいとか、〇〇すべきだ、とか相手が望んでいないアドバイスをすることです。
そして、神の領域に入り込むとは、
起こっていない自然現象に対して危惧することです。
例えば、自然災害に対して必要以上に恐れたり、それらが起こったらどうしようと不安に囚われて他のことがままならなくなってしまう状態。
他人の在り方についてどうこうしようと考えたり、どうにもならない自然現象をどうこうならないか不安になったりしている時、自分自身から離れた状態だということです。
つまり、グラウンディングできていない。
この章を読んでいて、そばこはパートナーとの会話を思い出しました。
パートナーは長年どうしようもない孤独感を感じて、それを何とかしようとしてきたと話していました。
どう言う時にそれを感じるのか気になって尋ねてみましたら、「一人でいる時」と返ってきました。
そばこはそれを聞いて、そばこは一人でいるときよりも、誰かといる時の方がずっと孤独を感じると思ったのです。
実際、一人でいることはそんなに苦ではないのです。
目の前にいても、家族のように一緒に住んでいても、分かり合えないと感じてきたその感覚がそばこにとっての孤独だったのです。
そばこが感じてきた孤独感というのは、どこかで「自分を理解してほしい」という欲求が叶わなかったことに落胆し続けてきたその感覚だったんだなと。
そばこは目の前の誰かに無意識に期待し続け、上手くいかない現実と闘っていたってことです。
この②の説明にある、「あなたはあなたの人生を生きているのに、私が頭の中であなたの領域に入り込むと、私の領域を生きている人がいなくなります。その結果、上手くいかない人生に思い悩む」
自分の内側にいる自分がそれを放り投げて何処かに行ってしまっている。
自分の感じる孤独はそれなのだとよ〜くわかりました。
グラウンディングできてない詳細をよく理解できたお話でした。
著書に戻り、
アドバイスについて言及があります。
アドバイスは基本的には「良かれと思って」という善意が込められています。
他人にとって最善のことを自分が知っている、と考えることは、それ自体が自分自身の領域を離れたことであると述べられています。
領域を離れ…→バウンダリーを侵している&
目の前の人にアドバイスしたくなる=アドバイスしたくなる衝動が起こる時に何を感じているのか立ち止まれない→グラウンディングできていない
誰かのために自分が頼まれていないのに問題を解決する必要はなく、
自分自身にとって何が真実か(何が起こっているか)を知ることだけが自分にとっての唯一の領域であるということです。
自分の領域に留まるということを心に置いておくと、自分自身の人生を生きることができ、今までどれほど他人の人生を生きてきたのかを知ることになると締め括られています。
長くなったので明日続きを書きます♪
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨グラウンディングだいじ…✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨