今日は早朝に夢が怖くて目が覚め…
しばらく湧いてきた感覚や感情についてフォーカシングしてました。
子どもの頃、
嫌だと言えなかったこと、
全力で拒否しても無理矢理捕まえられて大人の思い通りの価値観を押し付けられていたこと…
その時の恐怖が強くてひたすらYESと言い続けること(NOを諦める)や、奉仕することで自分の存在価値を繋ぎ止めようとしてきたこと。
自分の感覚や感情を置き去りにして、周りの空気ばかり読んできたこと。
子どもの頃は、親の価値観が絶対。
それに従えないことは親から見放されることを意味するので、これは拒否してはヤバいと分かってはいるけど、
子そばこは内側から沸き起こる嫌悪感や恐怖感に抗えずに拒否します。
でも、大人(両親)は自分達の価値観と子どもの価値観が同じでないとダメだったらしく、それが受け入れられなかったらうちの子じゃない的な発言をし、取引を持ちかけてきます。
愛されるためには、
同じ価値観と考えを持つこと、
肯定的な感情以外は理解ができていないのと同じなので認められないこと、
子そばこにとっては呑むしかない条件。
本当に助けて欲しい時に、
頼りたい人が寧ろ助けてくれないばかりか、余計に自分を窮地に追い込むようなことをしてきたりする。
自分は奉仕する(ことが存在価値だと思い込んでいる)が、誰からも助けて貰えないと諦める。
こんな風に自分を滅して生きることで、意に沿わぬことを「本当の自分を捨ててまで」やってる、
と言う恩着せ(ここで恩を着せていると設定することで優位に立ち自分を慰める)を両親に対して行い、
両親はこの恩に報いるべき(特別愛されたい)と子どもなりに小賢しく一生懸命に自分を納得させています。
どこまでも自分を後回しにすることが良いことに繋がるとここで誤解しているという残念なことに…。
拒否することを我慢したり、
意に沿わぬYESを続けると、本来の自分からどんどん遠ざかっていきます。
はじめは違和感とか、怒りとか悲しみとかを感じることがあっても、それが当たり前の状態になっていくと何も感じなくなっていく。
でも、自分の内側では確実に自己が分離しているので、歪みが外側の世界に現れてそれを知らせようとしてきます。
この歪みが生じる違和感や不快感は麻痺しているだけで都度蓄積していきます。
不自然な状態を続けるにはユ◯ケル的(エナジードリンク)なものが必要になってきます。
本来の自分を捨てれば捨てるほど、
両親に恩を着せられる。
恩を着せるほど、両親は返さなければならない状態になる(と思い込んでいる)ので、
自分の方が優位に立つんだと言うのが、仄暗い悦びとなり、
この場合のユ◯ケルの代わりになります。
本来、疲労というものは確実に身体に溜まります。
寝溜めはできないので、どこかで休まなければコンディションを保つことはできません。
エナジードリンクを飲み続けて何日も徹夜したらいつか限界がきます。
てなわけで、いつかは何で疲労するのか、
何でこんなに無理な生活をしているのか、自分のやり方を見直す必要が出てくるわけなんですね…。
長くなりましたが…
そばこが心理学でやってるのは、言うなればその見直しの箇所を見つける作業なのです。
フォーカシングで身体感覚を頼りに、筋肉に溜まった感情を感じ続けて行くうちに、
なかなか無くならない感覚に気づきました。
それは、みぞおちに感じる違和感。
自分の自由を奪うものへの警戒なのか、
両親の価値観ではなく、自分の価値観へ移行する不安なのか…
この傷ができた原初の体験に戻り、何が自分に起こっていたのかを感じてみる。
両親からの圧力に怯える小さな自分。
布団の中で小さくなって耳を塞ぐ小さな自分…。
必死に抵抗する自分に侵入してくるエネルギーの手たち。
はじめ、ビリビリした感覚(抵抗?)がある。
それを突破された後の侵入の感覚が何とも言えず、気持ち悪い。
喉にフォーカシングした時、
「やめて」と「気持ち悪い」という言葉が出てきたのはこれかと納得。
ひとしきり感じ切った後、みぞおちに残った感覚を感じていると、
内側から何ががみぞおちのチャクラを握っているような感覚がする。
手は小さくて、4〜5歳くらいの自分の手だった。
やっと見つけた!
とと思って、その手とその手の主(子そばこ)と共に居るイメージをする。
これを離したら、自分は生きて居られなくなる、とものすごい恐怖を感じた。
ぞぞぞぞっとするけど、そのままそれを感じる。
怖いと感じたことを両親に言えず、それを感じていることを知られたらもっともっと嫌なことをさせられる。
何も感じないように、平然な状態でいなければ…
怖くっていい。
何年かかっても、怖いもんは怖い。
嫌なもんは嫌なんだから、『嫌だ!』に罪悪感を持たなくてもいい。
小さな頃、子そばこはどうしてほしかったのか。
怖いと思っていること、嫌だと思っていることを両親に分かってもらいたかった。
怖くて泣いている自分を慰めて、それは今ここで起こっていることじゃない、大丈夫だよと言ってほしかった。
そうだった、そうだった、と大人の自分で子そばこに寄り添い、感情を一緒に感じる。
3チャクラを掴んでいる手を放しても、もう大丈夫だからと話しかける。
10年前、母にこの幼少期の話をして、未だに母がその価値観を強要することがとてもつらかったということを伝えられたこと、
伝えたところで母の愛情を失うようなことはなかったこと、
ただ、生きていてくれたらいいとシンプルに思っていることを母からちゃんと聞いたことを子そばこに伝える。
怖くても、嫌でも、ここにいていいし、生きていていい。
家族でいられると伝える。
チャクラに食い込んだ指を一本一本外していく。
外した小さな手に自分の指を絡めて手を繋ぐ。
小さな頃は恐ろしい記憶しか残っていないけれど、これは(ちょっと歪んだり強引だったりするけど)愛なんだと今は分かるので、それを伝えてみる。
若かった両親は必死だった。
子そばこの価値観を何とか正しく導こうとしていたけれど、どうしたらいいのか分からなかった。
それで、まずは恐怖を感じさせて、それを学ぶことで乗り越えさせ、理解させようとしていたのだと。
子そばこの手が自然に繋がれるようになり、愛の感覚を呼び覚ましていると、温かいエネルギーが内側からうわぁぁぁぁぁっと湧いてきて、えらいことになった。
教えてくれてありがとう
わたしはいつでもあなたのことを
大切に思っているよ
といつものフォーカシング終了の声掛けをして終わる。
長かった…
ふと、枕もとのカードに意識が向いて、カードを手に取る。
4月に行った草場さんのギャラリーで来館記念にいただいたカード。
中に裏返したメッセージカードがあることに今更気づく。
読んでみてビックリ。
なんか、すっごいタイミング…✨
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨ありがとうありがとうありがとう✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨