今日はやっと見たい物件を見ることができました。
感想は今まで見た中で一番良かったです。
パートナーも同じ感想だったので、このままお話を進めることにして不動産屋さんに連絡しました。
帰りにパートナーとちょっとしたすれ違いがあり、
そばこの中で反応が起こりました。
かなり結構引きずる感じで、数時間反応と向き合っていました。
パートナーと一緒にいるようになって、何度か同じようなことがあり、今回更に大きくなって現象が生じたというところでしょうか。
過去の感情の中でとても傷ついた自分がいて、
その時に感じた悲しさと怒りの奥に、惨めさや、屈辱があり、
こんなに惨めになるくらいなら、消えてしまいたいと強い痛みがありました。
ただ、これはそばこの中で起こっていることで、パートナーには関係がないのです。
今、自分の中で何が起こっているのかを説明したけれど、パートナーにそれは伝わっている感じもなく。
伝えるとか伝わるとかそういう結果はここでは関係はないのですが…
ただ、これは自分の問題だということがせめて伝わっていたら…。
完全に消沈して、でも涙がダラダラ出てどうしようもなく、
せっかく寄った素敵なカフェでそばこはただ涙が出るままに座っていました。
パートナーもあれこれ話してくれていましたが、涙が出るままに待っていてくれてよかったと思います。
恐らく分かりやすく涙を出したままにしているのは、パートナーに何かを分かって欲しいという意図もどこかであっただろうし、
こんなに悲しい気持ちのワタシをヨシヨシ慰めてほしい、みたいな子どもの感覚もあるんだと思いますが、そういう引っかけに見事に乗らないパートナー。
ほんと、見事。
泣いてるのかすら気づかないのか、スルーする能力があるのか、
そこは単なるそばこのイメージなので事実はここに一つもない。
自称空気を読むことに長けてると言うことなので、案外ここを突っ込むとめんどくさいことになると分かっているのかも知れません。
こういう時くらい優しくしてくれたら良いのに、って思うことも何度目だ…。
これは父親との関係性プロセスだよねぇ。
この「優しくして欲しかった」は、今大人の自分が子どもの自分にすることであって、目の前のパートナーや、今現在の父親とかにしてもらうことではないのです。
ボロボロ泣くそばこに、理路整然と「親しき中にも礼儀あり」とか、「個人の領域に踏み込むべからず」という話をする。
そばこの人付き合いのダメ出しされている気分になってくる。
心は子どもの頃のそばこになっていて、高熱で寝込んで咳が止まらないそばこを「喧しい」と怒鳴りつける父がいる。
今は怒らないで、ただ優しくして欲しいのにと怒りと悲しみでいっぱいになり、その更に底に「愛されていない」「助けてほしいという思いを撥ね付けられた」と、惨めになる自分がいる。
反応の最中で、この時の痛みを感じつつ、状況を整理する。
パートナーはただ、自分の考えを話している。
こうしたら楽になれるのにという感じで、処世術めいた話をしてくれている。
そばこの求めている所に全くヒットしていないけど、パートナーは自分なりの考えを話しているだけで、そばこを批判している訳でも怒っているわけでもないのです。
反応のまま行動することなく、どうしたらいいのか。
「今はそんなことを話し合いたいんじゃない」と話を中断したい気持ちや、「もう帰る!」と言いたくなるのをぐっと抑える。
ひとまず、パートナーの話を「あなたはそう思うのね」と聞く。
反応がおさまるまで待つ(パートナーも涙が落ち着くまで待ってくれてよかった)。
こうやってまとめてみて思うのは、
子どもの頃とは違うのは、パートナーからのサポートは実際はあったということなのです。
ただ怒鳴られた子どもの頃とは違って、
パートナーは、泣いていても怒鳴ったりしないで、ひとしきり気持ちが落ち着くまで待っていてくれた。
(そばこの欲しい形ではないにしろ)サポートしようとしてパートナーなりに自分の考えを話してくれたのです。
子どもの頃と全然状況が変わっているとこうして見ると良く分かります。
何も変わらないと思っていたけど、少しは現実が変わっていたと気づけました。
そこには愛があるんだと気がつき、感謝することができました。
それにしても…これは何度かサポートを受けて現実が変化しているわけですが、
同じようなことだと感じる(感じてしまう)現象が起こるということは、更にサポートが必要なものなんだなと改めて理解しました。
何度も同じことがあり、その度にセルフケアしてきましたが、タイミングが来たなぁと。
ひとまず、ヒーリングをお願いしよう。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨ヒーリングが必要✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨