今日は引っ越し250日目✨
今日はセッションでした。
昨日からの続きでそばこは幼少期から報われない善意の使い方をしてきました。
余計なお世話を止めることができず、無意識のまま相手に侵入し続けることで相手のリミットを変えてしまって拒絶されショックを受けること多々。
そして、それらの余計なお世話は関係性の継続に関するいわゆる取引のような位置づけがあり、「お世話貯金(保険とも言う)」なるものを貯めて、それがいざという時(自分が助けて欲しい時)にきっと帰ってくるはずと思ってせっせと傍迷惑と侵入ストレスの種を相手に無理矢理埋め込んで行くといく作業をしていました。
また、我慢も同じで、
相手のする事で自分に我慢が生じた場合も「我慢貯金(保険とも言う)」をせっせと貯めて、自分が自分を抑えきれなくなった時、こんなに普段我慢してるんだから相手に我慢して貰おうと、誰にも頼まれていない我慢をし続けると言う不毛なことをしていました。
これも結局、自爆してしまう結果しかなく、相手は貯金の存在など知らんので、突然キレられ、何が何だか分からない状態になってしまう。
「普段、こんなにこんなにお世話or我慢しているのに、何で⁉️」
からいつまでも抜け出せずにいました。
結局、どっちもバウンダリーを侵すことなので、自分も相手も困ったことになるという顛末を迎えるのでありました…。
この不毛なやり方で何度となく人間関係に躓き…
耐えがたい絶望感や敗北感を感じて、結局関係性を断ち切ると言う形でそれらを無理矢理終結させてきました。
何故そうなったかは昨日の日記の内容になるので割愛しますが、
この長年の『報われなかった無念な気持ち』とか、相手に愛されたいという渇望のようなもの(幼少期にその場で存在するために=愛されるためにしてきたが報われずにただ渇望だけが残っている)を、今度は如何にして大人になった自分が満たして行くのかと言うところに入ってきます。
今までのテクニックとしてはそばこの場合、
フォーカシングを使ってその時の身体感覚を頼りに先ずは感情を少しずつ感じていく
↓
イメトレで過去の自分と向き合って自分を満たす感覚を探り、それを自分に与えていく
↓
感覚が上がってくる度に繰り返す
キレた家族を前にして、恐怖に慄きながらどうしたらいいか分からない自分は、
とにかくその空気から助けて欲しかった
急に怒ってごめんねと言って欲しかった。
気にしてくれてありがとうと言って欲しかった。
いつもありがとう、大好きだよ、愛してるよって抱きしめて欲しかった。
それをイメージの中でとにかく(大人の)自分が(子どもの)自分に与えていく。
現実に再び同じことが起こった時、
同じことを後でイメトレ等でするか、
もし、誰かにどうしても協力して欲しい時は、相手に許可を求めてサポートをして貰うように依頼してみる。
例えば、触れていいですか、とか、ハグしていいですか、みたいな感じで。
ここで、相手に求めるところからではなく、依頼するスタンスが大事なようです。
この依頼が相手の心理状態によっては拒否される場合があるのですが、
ここで相手の返事は問題ではなく、自分がしたいと思うことを相手に伝えたかどうかにある(それ全体がニーズとして)ので、
NOの場合はまたTRYするだけの話になる。
相手にひたすら求めてジタバタ泣き喚いたり、求めても応じてくれない相手に絶望して関係性を断ったり…
いつもの場所に戻るではなく、自分のために動くことを少しずつ重ねることで現実が少しずつ変わっていく。
どうしても
ハグが欲しかった、
慰めが欲しかった
労って欲しかった
優しくして欲しかった
愛して欲しかった
たくさんの無念が渦巻く中で、本当に自分を満たすのは何なのかを知っているのは結局自分しかいないわけです。
誰からも本当に欲しいものは貰えないし、
そもそもこの貰うって言うのはそばこの感覚で言うと相手から奪うとか、無理矢理させる(コントロール)感覚に近いなと思うわけです。
そんな不毛な誤解を解いて、少しずつですが自らの畑を豊かにするために、自分のための種を蒔き、肥やしを作って与えていく必要性を強く感じたセッションでした。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨近々もう一度受けよう✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨