そばこのハピ☆ラキ工房

モンハン歴14年☆心身ともに元気な狩人増加による世界平和の実現が密かな野望…☆

理不尽を如何に落とし込むか

今日は引っ越し249日目✨

自分は明らかに相手より負荷がかかる作業をしているのに、

自分はどう考えても相手より普段から気をつけているのに、

何故か自分の頑張りが評価されない。

何故か自分は労られない。

誰かのために動くことが時々虚しくなって止めようとするけど、いざその時になるとやっぱり自分の体が動いてしまう。

 

動いても報われない。

動かなくても後悔する。

結局、どうしたらいいのか分からず、(そばこの場合は)動いて虚しくなる道を選んでしまう。

 

問題は、相手が何らかの問題を抱えていて、困っているらしいことが分かった瞬間に起こる『助けなければ、世話しなければ』と言う衝動。

この衝動に駆られるともうそばこは反応の中にいることになります。

この衝動に衝き動かされて何か相手にすると殆どの場合上手くいかない。

自分か、相手が我慢する結果になる。

 

衝動のトリガーは、相手のエネルギー的な不穏(だと思う)。

それを感じた時、いつもの衝動に任せて動く前に立ち止まり、相手が何らかのサポートを明確に求めて来てから動けばいい。

とにかくそれを待てないことが課題。

そして、このエネルギーに反応して、どうしても動きたくなってしまうなら、相手に侵入する前に物理的距離を取ればいい。

 

ここで問題になるのは、困っている相手を置き去りにすること。

これに凄まじい罪悪感を感じる自分がいる。

困っている人を差し置いて何処かへ行くのは卑怯で、狡くて、恥ずかしくて、情けないことて、人でなしだと言う思い込みが自分を引っ張ってくる。

 

この罪悪感は本当になかなか無くならない。

何故なら、自分が困っている時に寄り添って欲しかったり、優しい声をかけて欲しかったり、労って欲しかったりした過去があるため、

相手もそうして欲しいに違いないとすぐにスライドしてしまうのである。

 

良かれと思ってしてことが、大惨事に繋がることは、そばこのパターンでよくあることです。

この良かれ余計なお世話は自分に返ってくると非常に大きなダメージを受けます。

何せ、善意から行動しているはずなのに、相手に拒絶されてしまうという散々な結果になるので。

このパターンを何とか止めたいと常々感じていますが、ここで書き上げだだけでも、過去のトラウマだらけだなぁと思います。

 

自分の嫌がることは人にはしてはいけませんは、まんざら間違ってはいないところもあります。

不快が逆転するパターンはそんなに無いので。

ただ、

自分がしてもらって嬉しいことを他人にしてあげましょう

は、大変難しい。

これは人によってかなり違うんですよね。

「良かれお世話」はここが出発点なんだろうと思われます。

 

そばこは子どもの頃から、キレて物に当たる家族を見て来ましたし、

その度に

動いても報われない。

動かなくても後悔する。

と言う場面を幾度となく体験しました。

お世話をしても相手の希望に沿わずに怒られる、

だからと言って何もしなかったり、その場から逃げ出したら「よくも困っている人を置いて行けるな」と怒られました。

 

なので、結局同じ怒られるならその場に止まって相手の核心から外れまくる世話をして怒られ、気まずくなったり悲しくなったりするしかなかったのです。

 

または、相手がとりあえず立ち直るまで手を握ったり、体をさすったり、ただ側に居続けるしかなかった。

 

あー、あいつ今めんどくさいな…

ほっとこ

 

つまり、君子危うきに近寄らず的なことが全然できなかった。

 

子どもの頃のこの対応しか未だにできない自分に驚きですが、トリガーから行動までが短すぎてホント、この素早さって他にも生かすとこが無いんかいなとツッコミたくなります。

 

タイトルの話になりますが、親がキレてどうしようもない時、何をしても怒られる状況ってすごく理不尽ですよね。

今は大人なので、この理不尽がなぜ起こるのかは理解できてはいます。

親もまた反応の中で子どもの頃に戻っているってことです。

 

本当はキレてる親にその場面で急に怒ったことを、怖がらせたことを謝って欲しかったし、

抱きしめてもう大丈夫だと言って欲しかった。

 

あの場面でして欲しかったことは結局、自分で幼い頃の自分に与えていくしかない。

これは地道なことで、この時の複雑ないくつもの感情を紐解いて感じ切って一つひとつ確認していくことが必要です。

 

この過程の中で、理不尽が何故起こっていたか、そして今もどうして起こるのか、が分かってくると少しずつ過去の理不尽を多角的に見ることができるようになってくるのではと経験的に感じています。

 

そして、トリガーを感じた時、いつもの衝動のままに行動したなら、

次は別の選択をできるようにトライしていくしかない。

その瞬間に立ち止まること、トライを続けていくこと、癒しってこの繰り返しによって進んで行くのではとつくづく思います。

 

新しい選択を何度も何度もしていくことで、過去のトラウマが少しずつ癒やされ、

同じ出来事が起こらなくなった時にようやくトラウマが昇華されたと感じるんだと。

一筋縄ではいかないし、魔法のようにパッと消えるものでは無いけど、

いろいろやってみて結局ここだと思うところであります。

 

ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨明日はセッションです〜

ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨ 

 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆