今日は手首と小指が痛くてサロンパスを貼ってます。
久々に見られた14時からの暴れん坊将軍。
まだシリーズ2なので、みんなお若い♡
さてさて、自分の恋愛ダメパターンを探そうキャンペーン中みたいになっていますね。
シリーズ第3回。
このダメパターンについては、何を整理したいかと言いますと、今まで浮気されたとか、フェードアウトされたとかそういう恋愛の失敗談がありますよね。
それらの失敗に関してどこに責任があるのかというと、それはそばこ自身にあるということです。
決して浮気した男性がどうとか、相談なしに勝手に消えた男性がどうとかと言う話ではない。
要は倫理的な部分での話ではなく、
そばこ自身の人生を主体的に考えた時、それらの出来事は基本的にそばこ自身の選択によって生じた事実なわけです。
なので、浮気した〇〇が悪いから今こんなに不幸だとか
蒸発した〇〇のせいで人間不信になっちまったと言うのは、人生を自分軸で考えられていないって言うことですね。
んで、その選択にはさまざまな忖度があったかも知れないけれど、結局は自分が選んだ道なのだと自分自身がしっかり納得することが必要です。
でないと、いつまでも人のせいにして他人の人生の側道を走るか、誰かのバイクのサイドカーに自分から体を括り付けてしまっている状態になっちゃいます。
でも、楽なんです。誰かのせいにできた方が。
自分軸で生きていくよりその状態に入っていたら楽なんですよ。
でも、それではいつまでも他人中心の世界の住人で、しかも何度もその嫌なパターンばかり繰り返す。
また〇〇のせいで上手くいかなかった、ムキー!ってなってしまう。
自分で選んだんだよ、誰のせいでもない、自分で選んだからこうなったんだよって気づかなければ先に進めないのです。
選んだ時何があった?
どうしてそれを選んだ?
選ばさるを得なかった時、心の中で何が起こっていた?
選択を画一化したり、狭めているのは確実に過去のトラウマが原因だと感情の記憶を辿っていけば分かります。
その時、平静さを失った自分が過去と同じ心理状況になって同じ選択をする、そうすると高い確率で同じ出来事が起こってしまう。
「ああ、やっぱりそうなった」
と潜在意識の中にある「概知の答え」(過去のトラウマに係る出来事で起こった結果)と「現在目の前で起こった結果」とで答え合わせが成立したら、より思い込みは確固としたものとなってしまいます。
ただ、全部悪いのかって話ですよ。
過去の何にも知らない、ただの小さな子どもの自分がどうしていいか分からないまま、なす術もなく大人の乱暴な思考や感情に翻弄されてしまったことが、どうして悪いのかって話。
そこは自分自身も許せていないのです。
親しい、心を許している大人たち、自分が命を預けている大人たちをどうすることもできなかった悔しさ、悲しさ、無力感、無価値感。
自分をいる場所を一瞬で居心地の悪い場所にしてしまう大人たちへの怒り、憎しみ…!
それでも、親しい大人たちを愛しているから、責めたり、憎んだりできないのです。
子どもってそういうもんです。
何もできない自分も許せない。
何にもしてくれない大人も許せない。
大人を許せない自分が許せない。(愛してるから)
そこは、
もうえんちゃうかなと。
以前、いじめについて書いた時も、許さなくていいと思うという個人の感想を述べましたが…。
許さなくていいよ、もう子どもだったんだから…
大人になったって他人を変えることなんてできないんだもん。
なので自分を悪者のまま責めているのであれば、そこは悪くないからその罪悪感は手放していいと思うんです。
子どもの自分にはどうすることもできなかった。
だから、自分は悪くない。(肯定語に置き換えるなら、「正しい」になっちゃうけど、いまいち言葉が微妙なので「そこに居てよかった」とかかな…?)
今は大人になって、子どもの頃のよりたくさんの知識も経験もある。
話ができるし、たくさんの術がある。
大人として話し合える力がある。
そして、何より今ここで対峙している相手はあの時の家族じゃない。
(家族と同じ問題が起こりうるので「あの時」を入れてみた)
そこらへんまで来てやっと過去から抜け出して、ヤベ、コレ過去じゃない、今、じゃん!ってなるんですね。
脳は今の感情と過去の感情の違い(同じ感情でも場面が微妙に違うとかそう言う細かいとこ)がよく分かっていませんので、ここで立ち止まって(グラウンディングとも言う(笑))修正を入れておかないといけないのです。
今大人じゃん、んでもって、相手も場面も全然違うよねってことに気づいて、やっとあの時とは違う選択をしてもいいんじゃないかって思えるようになります。
ただ、同じところをグルグル回ってパターンの中に生きる方が人間は楽なのです。
どうしても楽な方に行っちゃう。
例え辛くても、悲しくても、苦しくても、既知の世界にいる方が楽だと感じるのです。
新しい選択をすると言うことは、革命のようなもの。
すっごく苦しいし、怖いし不安なのです。
それは同じパターンで苦しんでいるもの以上だという畏れがあります。
そこを乗り越えて、新しい選択にいけるかどうか、それが現実を変えることに繋がっていくってことですね。
前回のブログの加筆みたいになりましたが…。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨新しい選択をする勇気✨