今日は通学87日目✨
Wi-Fiは忘れるわ、ハンカチは忘れるわでちょっとボンヤリしているようです。
毎年2月はあっという間に過ぎていくイメージ。
もう月末が見えてきてる👀⁉️
そばこは勉強会の音声を聴きつつぼちぼち復習しながら通学しています。
今日何となく歩きながら考えていたのは、人とつながる感覚が怖いのは何故なのかということ。
確実にパターンとして自分はそれを持っていて、恐れているということは分かる。
いろいろ勉強してきて、大分安心安全の感覚が分かってきたから、
取り乱したり、あたふたしたりではなく、自分は何を感じているのかそこに居続けることはできるようになってきた(多分)とは思う。
自分が好意を持っていても拒絶される、と言えば、特徴的なのは父、祖父母との関係。
父は祖父との関係性が完全に崩壊していて、常にイライラしていたし、祖父を家畜扱いしてました。(虐待とも取れると思う)
究極に嫌われたらこうなるモデルを見せつけられてました。
イライラしてたからもあるし、仕事が不規則な時間だったのもあって、
子どものタイミングでスキンシップを取ると、不機嫌になったり怒られたりしたので、子どもながら顔色を見て接していました。
好き嫌いが激しく、同じものを好きと言わないと価値観を否定されたり、人間性や感性を疑われる始末。
何気なく見るテレビ番組の感想を言ったり、
正直、チャンネルを選ぶのも気をつけていました。
気に入らないタレントが出ようものなら、罵り、罵声の嵐で雰囲気最悪ですからね…
子どもの頃は父が好きかどうか、気にいるかどうかがすごく重要なポイントでした。
本当に自分が好きなものは何か、
それを言っても別に良かったけど、それ以上に親の愛が欲しくて自分から切り離したんだなって今は思います。
父も人間なので、子どもだとて他人を受け入れるタイミングがいつも万全とは言えなかっただけなんですよね。
ただ、タイミングの問題で、父に愛がなかった訳ではなかったことが大人になってから分かりました。
そばこは何度かの失敗を経て子どもの頃、
自分の愛は拒まれる
自由に愛してはいけない
タイミングをはからなければ愛されないし、愛してはいけない
と、誤解し、
親に愛を拒まれることから生じる憎悪に耐えられなくて自由にただ愛を持つことや、愛を感じて、表現することを封印しました。
祖父母への誤解は長くなりそうなので明日に書こうと思います。
でもまぁ大体同じようなことですが。
今日そんなことを考えていたら、午後のカウンセリング案件でものすっごくリンクした出来事が起こりました。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨ひ、ひきよせ〜〜〜〜✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨