今日は引っ越し245日目✨
昨夜、自分がどんな学校に通いたかったかをふと考えていました。
・学びたいことを思う存分学べる
・大人(先生やいろんな老若男女の大人)とおもしろい話ができる
・一緒に遊んだり学ぶ友だちがいる
・皆それぞれ自分のさまざまな体験を安心安全にシェアできる場がある
・個人の疑問や課題、悩みををみんなで考える学習がある
・自分の好きなもの(こと)を大切にできる
個々生きることそのものに探求があり、学習があり、関係性のトライ&エラーがある。
個で学ぶことと集で学ぶことは関連づいていて、あらゆるものごとに関する疑問は世界のあらゆる所に通じている。
今まで学校で感じていた窮屈さ、人間関係の煩わしさ、苦悩に苦痛。
いじめや差別。
自分の人生を振り返ると、辛かったことを周りのせいにして生きていた時間がなんと長かったことか。
全ては自分の内側にあるのではないかと気づいて学んだこの10年程。
恥ずかしくて悔しくて、痛くて辛くて孤独と虚無と無力感の塊だった年月を振り返ると、全ては自分の作り出した現実のフィールドで起こっていた事が分かります。
それが分かると、暗黒の時代だった過去が少しずつそんなに真っ暗でもなかったと思えるようになってきました。
逃げ出したくて堪らなかった学校には同時にワクワクがたくさんあったのです。
昼休みに一人で登った登り棒。
一人でてっぺんでチャイムが鳴るまで過ごしたこと。
怒られながら机やプリントにたくさん落書きして、無心になって創作に没頭したこと。
大好きな漫画やゲームの話を友達と飽きることなく話したこと。
図鑑や百科事典を飽きることなく何度も読んだこと。
新たな物語を求めて何冊も本を漁ったこと。
今でもそうですが、他人の家族って本当に外国のように謎の世界でした。
その世界からやってきた子どもがたくさんいる。
日本人という括りではあるけど、他所の家の異なる習慣を知ることは何とも不思議な面白さがありました。
例えば、お好み焼きは昼しか食べないと決まっている家があったり、
カレーは作ったその日には食べない(2日かかる料理という認識)家があったり、
家に帰ってからと風呂に入ってからのスリッパが別々だったり、
そのほんの少しだけ垣間見る違いが、そばこにとっては新たな文化の発見のような驚きとワクワクの瞬間でした。
そこから自分の家と他所の家は違うことを知り、家の数だけそれが存在すること、
そして、その家族たちがみんな違う人間で個々に現在進行形で経験を重ねていき、それぞれの属する集団で生きていること、
更にそれらが複雑に絡まったり絡まらなかったりしながら地域や社会、国や世界が構成されていくのです。
それを想像して、なんと世界は広大で途方もないのだろうと思ったものです。
正直、学校の教科の勉強とは全く離れた話ですが、毎日毎日ぼんやりそんなことを考えて生きていました。
そばこは教免は持っていますが、学校の現場では使うことはありませんでした。
大学を卒業してからも教育に関わりたいと思ってボランティアを続けたりしていたこともありましたし、受験の間だけの家庭教師をしていたこともあります。
未だに教育への関心は全く薄れる事はなく、何らかの関わりのある情報は定期的に入ってきます。
やっぱり、何か求めるものがあるのかなぁと思います。
受験勉強だけじゃない、
余暇活動だけじゃない、
5教科だけじゃない、
集団活動だけじゃない、
個別指導だけじゃない、
個人的であり、集団的でもあり、
学びと社会との関連性を感じながら、
学びのワクワクを自分で創り出すような、
生涯に渡る喜びと楽しみの種を植え続けるようなそんな教育、学習体験って何だろう?
もし、目の前の生徒さんが受験生じゃなかったら…
目の前の児童に自分なりの方法で勉強を教えられたら…
勉強が全てではないけれど、
遊びだけが全てでもない。
外国に行ったり、旅行に行ったり、
コンサートに行ったり、ミュージカルに行ったり、スポーツ観戦をしたり、
いわゆる余暇活動が全てではない。
経験していてもしていなくても、人生を自分で充実させていくにはどうしたらいいのか、創造性を持ってイメージして、実現していく。
そういう力を自分でもまだまだ育てていきたくて、それを子どもたちと一緒に考えながら学習活動を作っていきたいと思っています。
うーん、つまりはピンポイントではなくて、ガッツリ子どもたちと関わりながら、自由な教育をしたいなぁと思っているんですよね…。
昨日久しぶりに子どもさんとお話して何か触発され、久しぶりに真面目なアウトプットをしたそばこでした。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨自由に学び教えたい✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨