今日は引っ越し290日目✨
今日は朝からパートナーのお仕事に随行してました。
パートナーはとにかく待てない人で、自分のペースでしか行動しません。
若い頃、周りの人たちと合わせて生きていくことにとても苦痛を感じてとんでもなく孤独感に苛まれるなどしていたパートナー。
悩んだ末、
「ああ、自分が周りに合わせるんじゃなくて、周りが自分に合わせるようにすればいいんだ❣️」
と思い至ったそうです。
悩み苦しんだ末の彼の話を聞いた時、そばこは正直ゾワッとしました。
彼が決めたことは彼の内側のことなので、そばこがどうこう言うことではない。
ただ、ゾワッとしたのです。
この感覚が何なのか、これはそばこが向き合う問題なんですよね…。
話は戻って…
パートナーは歩くペースがめちゃくちゃ早いです。
そばこは軽いジョギング程度の速さでないと一緒に進むことができません。
いつも、パートナーに合わせて歩かなきゃ、出かける用意しなきゃと必死について行っていました。
が、
今日、同じ地点からスタートしたはずのパートナーとの間の距離が見る間に広がっていく様子をぼんやりと見ていました。
今朝、排卵痛があることを話したんですが、それを聞いて「じゃあついてこない方がいいじゃないか」と一蹴。
まぁ、そうですけどね…。
そばこはパートナーがそばこの体調を慮ってペースを変えたりすることはないことをまたしても忘れていました。
いつもなら、
また待ってくれない、とか、
また置いていかれる、とか、
思いやりがない!
とか、悲しみや怒りなどの反応に突入しますが、そこでふと待てよ?
に入りました。
あ、そうか。
お腹が痛いから待ってと伝えてみたけど、それはダメだった。
(そして、パートナーには早く歩くことに関してそばこへは何の意図(攻撃や罰しようとか、速く歩かせようとか)もない)
トライが上手くいかなかった悲しみや怒り、残念さを感じつつ…
待って欲しいというニーズを持つことが大事。
そして、そのニーズは伝えて相手に伝わるかは問題ではない。
では、どうやって自分の「待って欲しい」というニーズを叶えていくのか。
…じゃあ、自分が自分を待ってあげようと思ったわけです。
パートナーの速さに追いつかない自分を無意識にダメだとか、筋力が衰えてるとかとジャッジすることなく、
ただ、歩くのが遅い自分を待てばいいんだと。
歩くのがパートナーよりかなり遅い。
ああ、わたしは歩くのがパートナーより遅いんだね(事実)。うんうん。
で、よかったんです。
その後焦って追いかけなきゃ、どうしよう⁉️に入ると反応に突っ走ることになる。
そばこのニーズを整理すると、
①待って欲しい
②一緒に歩きたい
③一緒に過ごしたい
①は自分に待つをする
②は隣で歩くのは難しいが、一応同じ空間にいる
③一応同じ時間帯に同じ場所にいる
何か今難しいかと言うと、お腹が引っ張れて痛いので走ったり早歩きができない。
今ある力で自分のニーズを叶えていくには?
と考えました。
…なので、目視でパートナーの姿を確認できたならいいので「無理して」「頑張って」「必死に」追いかけることを自分のために手放しました。
自分が可能なスピードで歩けばいいんだ。
はぐれなければいいんだ。
そばこは自分が歩く速さが遅いことでパートナーに責められると思っていたけど、よくよく考えたら電話もあるし(一度電話がない時に置いていかれたことがあった)、はぐれても何とかなる。
一生懸命彼に合わせることが愛であり、それが相手に伝わっていると思っていたけど、
これは自分へは全く愛じゃないんだと改めて気付きました。
自分への愛が全然足りてないから、この愛は伝わるどころか愛ですらない、と。
ただ、恐れからパートナーに合わせようとする反応でしかない。
いつもならさっさと振り返ることなく歩いて行くパートナーを見ながら反応の嵐になるそばこですが、今日はなんか大きく乱れることなく、パートナーの姿を目視しながら自分ペースを保つことができました。
帰宅後、子にゃんこが側をついて回ってます。
なんやかんや可愛い💕
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨自己愛の視点を探す✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨