今日は朝から雪→雨のお天気。
ウォーキングはお休みなので、お正月参拝レポの続きをば!
1月3日、寒〜〜〜い祖谷を後にして、晴れの国岡山へ。
まずは吉備津神社にお参り。
そこから吉備中山みちと言う道を通って神社へ行きます。
約2キロだそうですが、思ったより遠かったような…。
この辺りの丘陵地帯を吉備中山と言うのは、かつて吉備国の中心がこの辺りにあったからということだそうです。
また、この吉備の中山は古来より神体山として信仰されており、矢藤治山古墳という最古の前方後円墳があります。(弥生時代末〜古墳時代?)
吉備国は大化の改新(645年)以降備前・備中・備後の3つの国に分割されました。
今日レポートする吉備津彦神社は備前国一宮として崇敬された神社です。
吉備中山に沿って歩いて行くと、途中歌碑がいくつか見られました。
昔の人たちもこの道を通って景色を見ながらあれこれ思ったりしたんだろうな〜
中山道を通って来ると、駐車場の側の方の鳥居に通じていました。
こちらが正面参道。
随神門の前も車が通るからか、ガードマンのみなさんが忙しく動いておられました。
焚き火があったのでしばらくヌクヌク…。
ありがたや、ありがたや…!
随神門は、1697年岡山藩主による造営。
桃太郎をコンセプトにしたお茶屋さんがありましたが、この日は休業していました。
門を潜ったところにある大燈篭。
高さは11.5mあるそうです。1830年〜1857年の間、寄付が寄せられ1859年に建立されたもの。
拝殿。
詳しくは吉備津彦神社のレポをご覧ください(笑)。
本殿です。
社伝では6〜7世紀ごろに社殿の基になった建物が造られたとありますが…
大吉備津彦命の住居跡に社殿が創建されたのが起源である、と言うところは吉備津神社と同じようです。
この本殿は1668〜1697年岡山藩主の造営(再建)。
流造という建築様式です。(上賀茂神社とか下鴨神社とかが有名)
再建なのは、戦国時代に戦火に遭い、社殿を喪失しているからです。
「朝日の宮」の別名があり、夏至の日に正面鳥居から日が差し込み、祭文殿の鏡に当たる造りになっていることからきています。
祭文殿〜渡殿への間に素敵な手摺りがあったので思わずパチリ。
継ぎ目が見えない👀‼️
吉備津彦神社の御神木、平安杉。
昭和5年の社殿火災によって半身が焼けてしまったそうです。
空洞化と老朽化のため平成16年に大手術治療が行われました。
龍が宿る大杉の伝承があります。
境内にある子安神社。
岡山城主の池田利隆公(姫路藩主)が子の誕生を機に造営したもの。
子安神社の右側に7つの末社があります。
(下宮、伊勢宮、幸神社、鯉喰神社、矢喰神社、坂樹神社、祓神社)
他にも境内には桃太郎伝説の元となったお話に登場する鬼の温羅の神社や、お稲荷さまなどがあります。
古い道を歩いたり、歌碑を見たりして昔の人々の足跡を辿りながら楽しめた岡山紀行でした。
整然として美しい境内で素敵なひとときを過ごすことができました*\(^o^)/*
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨桃太郎尽くしの1日でした✨