今日は滋賀に帰ってきて休養日( ´ ▽ ` )✨
いやぁ、足腰の筋肉痛がハンパない(苦笑)。
さて、埼玉紀行の神社参拝編。
西武秩父駅から徒歩15分ほど歩くと鳥居が見えてきます。
胸が逞しい狛犬さん✨
なかなか筋骨隆々でカッコいい♡
こういう前足が大きくてちょっと人間の腕みたいなデザインの狛犬さんって、なんだか体のバランスが微妙なことが多いのですが、丁度いいバランスになってますね(あくまでそばこの個人の感想です)。
手水舎。
精巧な彫物が施された手水舎。
四方の獅子の目線が独特…!
正面を見ているようで見ていない…。
神門。
朱塗の門が青空に映えます♪
乳銀杏。
昭和8年に秩父宮両陛下が植えられた銀杏のうち、妃殿下の植えられた銀杏に鍾乳石のような突起ができたもの。
この突起は、澱粉の塊だそうです。この突起を乳房に見立てて乳銀杏と呼んでいるとのこと。
今までなにも考えずに銀杏の木を見ていましたが、境内の銀杏を観察すると確かに似たような枝がある…👀‼️
説明によると、実の成らない雄木によく見られる現象だそうです。
実の成らない分の澱粉が枝に溜まって垂れ下がる…みたいな感じかな?
境内の大銀杏。
木肌に薬がたくさん塗ってあり、保護されていました。
温かい樹でした✨
神門のすぐ右手にある御神木。
落雷か何かで上部が失われているようです。
秩父神社の本殿ー拝殿正面。
創建は崇神天皇の御世だということなので、564〜631年になります。
古墳時代ですね〜
初代知知夫国造である知知夫彦命さまが祖神の八意思兼命さまを祀ったことが創始のようです。
御祭神は八意思兼命さま、知知夫彦命さま、天之御中主神さま、秩父宮雍仁親王さま。
※パンフにはこう書かれていますが、諸説あるそうです。
天之御中主神さまに関しては、神仏習合時代の妙見菩薩さまのことだそうです。
何故神社に?と思ったら、鎌倉時代に近くに祀られていたものを合祀したためだということでした。
そのため、江戸時代までは「秩父大宮妙見宮」と呼ばれていたそうです。
気になるのが「知知夫」と言う名前。
この漢字が「秩父」になった正確な時期は明らかではなく、初見は708年とのこと。
708年と言えば、和銅元年。
秩父から和銅と呼ばれる銅塊が発見され、朝廷に献上されたことを祝って年号が和銅になりました。
和同開珎鋳造の年ですね。
そばこ世代は日本最後の貨幣として歴史の教科書で習ったものです…。
さてさて、話を戻します。
現在の社殿は1592年m徳川家康公が再建したものです。
秩父神社は創建後、律令制度の崩壊によって一旦衰退し、平安時代に平良文が妙見菩薩を厚く信仰していたため、秩父に居を構える際、秩父神社の北東に妙見社を観請しました。
鎌倉時代に社殿が焼失してしまい、再建する際、妙見菩薩を合祀し「妙見宮」と呼ばれるようになり以後大変栄えたようです。
江戸時代の絵図には境内の中央に妙見社があり、社殿を取り囲むように4祠が配されている図になっているようです。
明治時代になり、神仏分離政策により、祭神を改めたり、社名ももとの秩父神社に戻した動きがあったということですね。
豪華絢爛!の社殿は、本殿・幣殿・拝殿が一つにまとめられた権現造。
左甚五郎作の彫刻が大変有名です。
見どころ満載の意匠編。詳細説明は明日へ( ´ ▽ ` )✨
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨歴史もおもしろい✨