今日は一日雨が降ったり止んだりのお天気でしたね( ´ ▽ ` )
昨日咲いたシャガールもすっかり退色しています。
右上の花と比べると黄色の退色具合がよく分かります。
雨の合間に撮ったキャラメルアンティーク。
花弁が乾いてちょっとふっくらしてます。
雨上がりはムワッとバラの香りが立ち上ってます。
雨雲の隙間を狙ってウォーキングして、いつも通る道にある枇杷の木をチェック。
今年は実のなる年のようです。
昨日から読み始めたコンステレーションの本。
作出順に読もうと思ったのですが、日本でコンステレーション普及に尽力された小林さんに興味を持ったので、この方の著書から読むことにしました。
冒頭、著者とコンステレーションの関わりと、コンステレーションの師であるバート・へリンガー、そして日本で最初にコンステレーションの講師として来日したハラルド・ホーネンの紹介があります。
バートへリンガーによるファミリー・コンストレーションは、ヴァージニア・サティアの「家族療法(ファミリー・セラピー)」から発展したものです。
その後、家族だけに限定するものから、より広い範囲を包含するもの、システミックコンスレテーションとなっていきます。
そばこは心理学は興味があるだけで学問としては殆ど知らない人なので、少しずつ理解をしていく必要があるようです。
まず、「コンステレーション」ってそもそも何だろう?と言うところからですね…。
コンステレーションとは、辞書を引くと星座とかそういう意味のようです。
他にも配置とか布置とか…。
いろいろ調べてみると、ここで使われるコンスレテーションというのは、〝一見無関係に配置しているようにしか見えないものがある時、全体的な意味を含んだものに見えてくる〟ことを指すようです。
確かに、星座は一つひとつは星で、点なんですけど、星座盤を見てそれぞれの星を結ぶと〇〇座のような形になりますよね。そういうことのようです。
家族というのは最も身近な集団と言えます。
もとは他人だった人たちが一緒に暮らし、共同生活をしている(離れて暮らしてもいる)。
著書で語られるのは、この家族という集団における繋がりというものが、単なる血縁や偶然によるものではなく、人間が作り上げてきた広く大きな命の塊だと解釈されていました。
今生きている自分には両親の、そのまた両親…等の人生の記憶がどこかに影響していると言うことです。
同じ有機的生命体(著書では家族をそう捉えている)として、家族の命の記憶は繋がっていて、それが何らかの形でずっとそれぞれの家族の中でさまざまな形で存在しているため、その記憶は生死には関係ないようです。
コンテレーションのトレーニングの主題の一つは、「等身大の自分を生きる」ことにあります。それは、自分を過大視せず、過小評価もせず、思い上がらず、卑屈にならず、日々を自然体で生きている状態を指します。
日々を自然体で生きるためには、自分の心と身体が受け取る感覚を基準にします。
どういう精神状態で心地よく感じるのか、
どういう行動を取ると罪悪感を感じるのか、
バランスを取ろうとする感覚が鋭敏に保たれていると、適切なものを自分に与え、また適切なものを受け取ることができます。(=著書では「調和の中にいるという状態」)
(ここはちょっとまだ?なところですが↓)
調和の中にいるとき、自分を静かに見守ってくれている存在から最も多くの支援を感じ取り、無理なくそれを自分の力に変えて人生に活かすことができる、ということです。
等身大の自分として生きることが可能であるという感覚を掴むと言うことは、自分への「信頼」を得るということで、あらゆる自己実現のためにそれは必要なプロセスだと言えます。
自分を好きになる、自己愛、自分を愛する…
自己実現でよく出てくる言葉ですが、具体的にどうしたらいいのか分からない。
自分でも出口の分からないモヤモヤした中で、一体どうしたら自分を愛することができるのか、自分を大切にする感覚とは何なのか…
正直自転車を見たことない人に自転車の漕ぎ方を説明するようなもんです。
自己愛とは何なのか、そばこもいろいろな事例を見て考えます。
自分のしたことだけをして、後のことは放ったらかしにすることなのか?
言いたいことだけ言って、都合の悪い言葉を聞かなかった(または全く耳に入れない)ことにするのか?
食べたいものだけ食べて暮らすことなのか?
好きな人とだけ話して嫌いな人は無視することなのか?
もうちょっと柔らかく言えば、
好きな場所へ好きなように旅したり、
好きな香りの入浴剤に浸かったり、
エステに行ってリフレッシュしたり、
まぁ何でも良いんです。
自分のためにやったことで、罪悪感さえ起こらなければ。
極端に言えばそういう感じのことなんだろうと思うんですよ。
浅〜〜〜く言えば。
今まで自分の思い込みや、社会的役割、トラウマなどで自分は〇〇であるべきという本来の姿から離れた自己像やブロックを作っているとして…
そのブロックを外して本当に自分がしたかったことを身近なことからやってみることが取っかかりだというのは確かにそうだと思うことです。
多分、引っ掛かるのはその先なんですよ。
イメトレや何某かの方法でブロックや思い込みを少しずつ溶かしていく。
けど、その先に何か見えないモヤモヤしたものを感じる。
掴めそうで掴めない何かがあるような気がする。
ざっと30ページほど読んだだけですが、要するにその何か分からないモヤモヤを掴む一つの方法なのではと感じる内容でした。
オカルトとかインチキとか言われている話も聞きますが、人の心が本当に果てしなく広く深いものであるなら、その心の問題とどう向き合うのかについては人の数だけ方法があるんだと思うのです。
しばらく読んでみてレポートしながら自分に落とし込んでいこうと思います。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨旅の始まり✨