ウォーキングが休みなので、いつもの筋トレと、新しい筋トレを一通りやってから、モンハン居酒屋(PS4のボイチャ)を開店したまま、自分の読書とかをしていました。
しばらくすると、メンバーさんが来たので話を聞いていました。
メンバーさんは仕事がお休みの日は家族のために食事を作っているそう。
今日は何を作ろうか考えている、という話でした。
家のご飯でも、外食でも、
何が食べたい?
って聞いた時って、どうしますか?
そして、
「なんでもいい」
って言われた時、どうしますか?
何でもいいって、そばこが思うに
「今日、私が何を食べたいのかク〜〜イズ♪」
って言うのと同じ事だと思っています。
本当に何でもいいって人の方が珍しい。
考えるのって結構めんどくさい。
そして、めんどくさいは全てを超える力を持っている…と個人的に思っている。
そばこの場合、排泄すらめんどくさくて(基本的に小の回数が人より多いので離席するのが本当にめんどくさい)、我慢して膀胱炎になったことが何度あるか…。
食事もそうです。めんどくさくて食べるのいいか…ってなる時あります…。
いつもじゃないですけど、勝ことがありますね…。めんどくさいが。
寝るのだけはめんどくさいに絶対勝つかな…。
めんどくさいに勝つって、生理的欲求を置いて何があるのかなと思うと、
やっぱりパッと思い浮かぶのは愛だと思うんです。
やっぱり、せっかくの休みだし、ダラダラしたいでしょ、お父さんもお母さんも。
でも、ご飯作ったり、掃除したり、買い物行ったりする。
好きな子とデートしてて、何食べたい?って聞いた時、
「なんでもいい♡」
って言われたら、めんどくさくても考える。
考えた挙句、
「今日はそんな気分じゃな〜い( *`ω´)」
って言われたら、
「じゃ、早よ言わんかいゴルァ」
って思うけど、グッと堪えるのも愛かなと思うわけで。
「何でもいい♡」
は
「今日なにが食べたい気分なのか当てて♡」
とほぼ同義語なので、正解すると彼女はご機嫌だし、不正解だと若干彼女が不機嫌になっちゃうのは、ある意味彼女はあなたを試しているのかも知れないと思ったり。
女子の場合、2割くらいしか本当に何でもいいと思っている人がいないのでは…?
そばこは食べたいものがある場合はハッキリ言います。
何でもいいと思っている時は、これだけは無理というのを伝えるようにしています。
話は逸れましたが…
今日メンバーさんが、作った料理が家族に不評だった時、息子さんがアルバイトでそこそこお金を持っているので、コンビニ弁当を買いに行ったり、外に食べに行ったりするそうです。
そうすると、一人分の食事が余るわけです。
翌日料理を作ったメンバーさんが食べるそうです。
やっぱりそんなに美味しく感じられない。
けど捨てるのもストレスが溜まる。
食べ物を捨てるのはそばこも大嫌いです。
なので、翌日も食べる気満々だとか、計画してアレンジして食べるとかがなければ、多めに作るなんてことはしません。
メンバーさんも同じ感覚で料理をしているそうですが、やっぱり家族が多いと、誰かが急な外食でご飯いらないって話になることってあります。
食べたくないけど、捨てたくない。
食べてもストレス、食べなくてもストレス。
捨てなくてもストレス、捨ててもストレス。
いろいろな思いがあるので挙げてみると、
・本来の目的を達成したいのにできないという悔しさ(食べなかった家族に食べて欲しい)
・勿体無いという残念な思いと食べ物を捨てる罪悪感
・気持ちが家族に通じない悲しさ
・準備をする前にもっと早く言ってくれたらいいのに、という怒り
・何で自分だけが残り物を食べたり、捨てたりする役目をしているのかという怒り
などなど。
そばこも同じ経験を何度もしていますが、残った食事を翌日食べたくないなぁと思ったらそのままでは食べない。
手を加えて食べてもいいかなと思ったら食べる。
何をしても嫌だなと思ったら、勿体無いけど潔く捨てる。
生活していたら、捨てるのだって手間なんです。
普段料理したり、家事したりしていない人には想像し辛い事でしょうが、ゴミ箱に捨てたって、終わりじゃない。
それを最終的にはゴミ袋に入れてゴミ出ししなきゃいけないわけです。
とにかく、なるべく生ゴミを作りたくない。
水が垂れるし、臭くなるし。
なので、生ゴミ用のペールは台所には無し。
そんなゴミ事情は置いといて。
家族のために作った料理が、その目的を遂げられずに残飯となる。
切ない。
非常に切ない。
でも、時間は無常に過ぎて行き、その食べてもらえなかった料理を食べられるリミットは確実に近づいてくる。
「勿体無いけど、食べなくてもいいよ」
「メンバーさんは何も悪くないよ」
「いつも家族のためにご飯を作ってくれて素晴らしいね」
と声をかけてみる。
それでも罪悪感やいろんな感情はなかなか吹っ切れないメンバーさん。
「それでも辛いなら、それはメンバーさんの心の問題だから、それと向き合って自分の方針を決めてみたら?」
というシメに。
お賽銭と一緒※で、ご飯は誰かのために作って出来上がった時にもうその使命はほぼ遂げられている、とそばこは思っています。
(※お賽銭は手を離れた瞬間にもう神さまに届いていて、そのお賽銭を誰がどのように使っていようが関係ない、という感覚)
確かに家族が食べてくれて、反応が良かったり、「美味しかったよ」とか「また作ってね」とか「ありがとう」って言われると嬉しいし、愛が届いたっていう実感があります。
届いたことを確認しなくても、愛は確かに届いているので、「なんだよープンプン」と一旦は思うけども、まぁいいかぁと思えるように最近はなっています。
それでも、「不味い」とか「もう二度といらねぇー」とか言われるとやっぱり悲しいし、凹んだりするけどね…。
それもまぁ、自分の与えたいものと相手の欲しいものが違っていたっていうことを確認したってことなんだけど。
仕方なく、食事を捨てるときはありがとうだし、ごめんなさいです。
感謝して謝って、さよならしています。
どうしようもない時ってあるので。
食べたくないものを食べるって、ものすんごいストレスですもん…。
ただ、今だから分かる事ですが、自分がただ生きているだけで喜んでくれる人って、基本家族だけだと思うんですよ。
(そうではない家族もありますが)
ご飯いらないってタイミング悪く言っても、またちゃんと作ってくれる。
遊びに行ってて遅くなったら「どうしたんだろう」と心配してくれる。
部活でどろっどろに汚れてもちゃんと洗濯してくれる。
それって、めんどくさいを超えてる愛ですよね♡
他人はなかなかそんなことしてくれません。
めんどくさいはお金で解決しなきゃいけませんからね。
無償でご飯が出てきて、自分が何もしてなくても部屋が掃除されてて、ゴミが捨てられてて、冷蔵庫に飲み物が入っている。
そんなこと、一人じゃ超能力者じゃあるまいしできないし、
自分じゃない誰かにやってもらうためには…
どうしたらいいと思います?
そういうのってお金で買えないものだと思うんですよね。
そして、みんながみんな、そういう恵まれた家庭環境に育つわけじゃない。
あなたはと〜〜〜っても幸せなのねって、メンバーさんのご家族に伝えられるもんなら伝えたい。
とっても愛されていて、大事にされている。
こういう愚痴って、些細なことって思われるかも知れないけど、蓋をし続けると少しずつヘドロ化すると思うんですよね。
そう思うと、少しも些細じゃないなぁ。
今日話を聞けてよかったなぁと思うそばこでした。
ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨家族は難しい✨
ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨
今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
いっ〜ぱいふりつもる〜☆