そばこのハピ☆ラキ工房

モンハン歴14年☆心身ともに元気な狩人増加による世界平和の実現が密かな野望…☆

高周波トレーニング9回目・繋がり続けること

今日は高周波トレーニング9回目。

レーニングのレベルを18/20まで上げました。

18とか…

電気を入れ始めて10とかから試しに入れるんですけど、普通の状態0から10に上がるだけですでに痛い…。

そこからまず15まで上げて10分、17まで上げて10分、18まで上げて10分トレーニングします。


…まぁ寝てるだけですけどね…。


今は心身ともに憔悴しきっていると言っても割と過言ではない状態なので(正直に言います(苦笑))、これって大丈夫なんだろうかと思ったりしたんですが…


全くの杞憂。


いやぁ、ビリビリに合わせて腹筋を動かしていたら頭のモヤモヤはとりあえずどこかへ行きますよ(笑)。

そして、今身体感覚が常にある(悲しいとか苦しいとかで胸とかが痛かったり、お腹が重かったり)ので、いつもよりビリビリの感覚がボヤけているような…?


今自分の感覚でいっぱいいっぱいなので、外からの刺激がかなり感じられなくなっているんですね…。

いつもより苦痛が若干抑えられたような…


良いことかどうかは分からないですけど…


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今日の琵琶湖。

毎日なんだかんだ浮いたり沈んだりを繰り返しています。


繋がっていたい相手との繋がりが一つ昨日消えました。

それはそばこにとってとても大切な思い出の関係するものでした。

出会って積み重ねてきた日々の象徴のようなものです。


相手は誤って消してしまったと話していましたが、どうだろうと消えたのは事実です。

心がとても痛くて、悲しくて、苦しくて、

もう二度と繋がれなくなる前兆のような気がして、不安になりました。


ここのところ、ずっとそばこが凹んでいるという話を聞いて、昨夜は久しぶりに友達が電話をくれて話していました。


この繋がりが消えた(消してしまったいう連絡があった)瞬間、そばこ一人だったら、今とても心が震えやすい状態なので、またしても深い悲しみの中に落ちていたと思います。

誰かと話しているだけで、不思議とこの急降下の感覚をやや落ち着いて受け止めることができました。


一人じゃない、ってこういう感覚なのかな…


と思いながら、急降下ではなく、ゆっくりと落ちていく感覚を味わいました。


相手と出会ったからこそ、新しい趣味を見つけたこと。

毎日がとても楽しみで、落ち込んだりした時でもリセットして1日を終えることができたこと。

声を聞くだけで心からリラックスできて安心できたこと。

出会うことができて本当に幸せで、楽しかったこと…。


でも、そばこが相手に転移を始めてからギクシャクしだしてしまいました。

不安から出た行動って、絶対相手には伝わらないって本当のことですね。

身を持って理解しました。


不安になって、でもその不安を相手に知られるのが怖くて、強がって本心を言えなかった。

やっと本心を言い出すことができても、その言葉にはもう不安がびっちり纏わりついていました。


どうして、タイミングってズレちゃうんでしょうね。

どうして、今言わなきゃいけないって時に言えなかったんでしょうね…。

今なら何度でも包み隠さず言えるのに、手遅れになってから気がつくって、何なんでしょうね…。

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そんなことを考えながら、ウォーキングしていました。

相手が不機嫌な時、去って行こうとしている時、そばこは子どもの頃に戻っています。

子どもの頃、家族がケンカしてどこかに行こうとしていてた時、


縋り付いたり、

泣き叫んだりして、

怒らないで欲しい、ケンカしないで欲しい、


って必死に懇願します。

でも誰一人聞かないまま、不機嫌は治らず、ケンカは続き、誰かが出て行きます。


大人になった今でも自分は同じことしかできないことに愕然とします。

相手が不機嫌になり、会話が途切れ、もうどこかへ行こうとしている時、そばこは反射的に涙が溢れて何も言えなくなってしまいます。

言えたとしても、行かないでとか、さみしいとかそんな程度しか言えなくなってしまいます。


普段のそばこを見ている人にとっては、突然子どもみたいな反応をするので、驚きしかないと思います。

普段は割とハキハキ話すし、冗談も言うしひょうきんなタイプなので。

そばこのそういう部分を見ている人にとっては豹変したように見えるようです。


んで、なんか重いし、怖くなる…

みたいです。


重いっていうのは、追い縋るエネルギーが相手を強襲してるんでしょうね…。


相手の不機嫌を察知した時(引き金)に、どうしようと思って、悲しみが心を覆ってしまい(反応)、さまざまな判断力が著しく低下する(多分、幼児期に戻っている)時、不安でしかありません。

この状態でどんなにお願いしても届かないので、一体過去のどの気持ちとそれが一致するのか、更に考えることにします。


今日、身体感覚を元に追体験してみましたら、これは家族のうち特に父に対してのトラウマだったようです。


父は、婿養子でしたが、正直母の両親、特にじいさん(義父)や、じいさん方の親戚と全く馬が合わなかったようです。なので、じいさんに対してずっと憎しみを持ったまま生きていました。


何度もじいさんを家から追い出そうとしたり、視界に入ったら恫喝したり、母に自分か祖父を選択させ、思い通りにならない(母はどっちも選べない)と家出したりしていました。


結婚当初は、実家に戻ろうとして、実母に婿に行ったのだから帰ることを禁ずると突っぱねられてしまって戻ってくること数回。

からしたら、帰るところもなく、非常に孤独を感じていたんだと思います。

かと言って、まだ子どもが小さいので、理解者だと信じていた妻の母も全て自分の味方をしてくれるわけでもなく、何度も裏切りを感じて絶望してはまた信じてを繰り返していたと言うわけです。


そばこの憧憬の中の父は機嫌のいい時にしか近づき難く、いつもどこか遠くどこかを見ているような気がしていました。

なので、ご機嫌を取ろうと必死でした。

機嫌がいい時は話してくれるし、少しだけど遊んでくれるし、おこずかいをくれたりしました。


機嫌を取る方法は、兄と違う能力を発揮することでした。


兄はとても賢い子どもで、大人たちがとても大切にしていました。

何でもそつなくできて、勉強もスポーツも人並み以上にできました。

村の中の同級生の子どもたちの中でもリーダー的存在で、家族の誇りでした。


勉強したって初めのできた!すごい!は、先に生まれた兄に全部持って行かれていますので無駄。

運動もそこそこできましたが、兄ほどでもなく。習い事も全部同じものをしてきましたが、何でもきちんとやり遂げる兄と比べたら、そばこは要領が悪くて滞ったことも多々ありました。


絵を描くことが好きだったそばこはそっちでアピールするしかないと言う感じでした。

兄にはない自分の個性を一生懸命探して、時には別に好きじゃないことでも兄がやっていないからという理由で始めたこともあったかと思います。


そんな感じでアピールしまくりますが、そんなに響いたような実感もなく。

怒ると何を言っても怒られるし、泣いたらもっと怒られるし、どうしたらいいのか分かりません。

努力もダメ、

子どもアピール(泣おとし等)もダメ、

少々大人になって高校生くらいになっていろんなことで説得を試みてもダメ、


大きくなってから見た父は「誰も自分を理解してくれない」という感じの捨て台詞が印象的です。


誰も理解してくれない?一生懸命分かろうとしていたのに…。(無念)

ずっと話してほしいと言っているのに…。

どうしたらいいのか話し合いたいのに…。


とにかく、そばこは父を前に成す術もなく置いていかれるという経験を何度もしています。

今回のことは家族云々のトラウマと大いに関係していますが、昨日のショックは特に父のトラウマだなと思いました。


昨日、少しだけ本人と話す機会があったのですが、もういつもと違う相手の雰囲気を感じただけで、涙が止まらない。


自動反応ですよ…。


泣いたら、泣いていると気づかれたら、ますます相手がイライラする。居心地が悪くなる。

でも、そのイライラを感じてそばこはひたすら怖くて不安で悲しくて涙が止まらない。

また更に相手が…の負のループ。


昨日の空気を思い出すだけで涙が滲む…。

その後、もう耐えられなくて相手との通話を中断しました。

とても冷静に話せそうもなかったので…。


そしたら数時間後、話の冒頭の繋がりの一つを消したって話に繋がります。

まー分かりますよね。

正直、相手としてはしんどいですもん。

もう関わりたく無いってことになりますよね。

相手にだって自分を守る権利が当然あるんですから。


そばこの場合は家族ですから繋がりを切りたくても切れない関係ですが、他人だと切れちゃいますもの。


そばこのできることは、

この悲しい現実は現実として、そして自分の自己責任として受け止めること。

とにかくこのトラウマを癒すためにイメトレするしかないってことですよね。


もしもう一度チャンスがあるのなら、大人の意識で話をすること。

そして、不安ではなく、愛から行動を選ぶこと。


すごく痛いけど、踏ん張って自分の感覚と繋がり続けて、癒しを続けていこうと思っています。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨繋がり続ける✨

 ではでは、今日も読んでくださってありがとうわございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆ 

お試しとは何か

今日はゆっくり過ごせた1日でした。

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秋分の日ということで、おはぎとかお団子とかついつい食べたくなる…って、そばこの場合はいつもか…。


8月の末、三峯神社に行きました。

その時、三峯神社に行くと、お試しがくると話を聞いて、


「お試しって具体的に何??」


と、ぼんやり思っていました。


そしたら、帰ってきて数日後に来たんですよね、お試し…。

9月に入ってからイメトレの記事が多いのはそのためだと思っていただいていいと思います。

本当に悶えました。

今まで自分にはもう関係ないと言うか、遠く離れた話題だと思っていました。

不意打ちでしたね〜もう、本当に不意打ち。


お試し、と言うのはそもそも何なんだろうと思って、トイレに入って、いつもトイレに置いてある本を手に取って読んだら、

たまたま開いたページに書いてありました(笑)。


お試しというのは、ある程度いろいろ学んできたら、


「これでもイライラしない?」

「今までの学びが本当に生きていますか?」


というのを問われる試験のようなものらしい。


確かにそうです…。


もうこれでもか、これでもかと新しいモヤモヤが生まれ、その度に今までやってきたワークを実践したり、カウンセリングも久々に受けたり、イメトレして過去のトラウマを探して癒したり…。


まだ傷口は癒えている途中ではありますが、ようやく緊急性の高い状態を脱したと思っています。

ここで大事なのは、表面的な感覚で言うと、悲しくて辛くて、痛くてしんどい出来事だったんですけど、

この痛みをきっかけに分かったこともあったわけです。


この痛みを手がかりに子どもの頃の放置していたトラウマの一つを癒せたということ、

それによって起こっていた同じような残念ループの軌道をいつもと違う方向へ向けることができたこと、

何より、その中でも愛を選ぼうとしたこと、その過程。


それらを全部感謝や愛を持って受け入れられるかどうかってことが大事なんだなと思います。


自分の中にあったネガティブでドロッドロの感情。

恥ずかしいくらい自分勝手な思考。

そういうものもやっぱり自分の中にただあると認めること。


そして、

それでも愛する気持ち、信じる気持ちを自分や他者に向けることができることもやっぱり認める。


まだ傷が疼いていますが、大きな衝撃は無くなってきています。

都度、フォーカシングをして自分の身体感覚と繋がることを大事に過ごして行こうと思っています。


お試しはまだ途中かも知れないけれど、確かにこれがお試しなんだなとここのところのブログや手書きの日記を見ていて改めて思いました。


感情の嵐の中で、身体の感覚、心の模様、いろんなことを感じて行く。

自分と繋がり続けることって本当に大事なことなんだなと思うし、グランディングの重要さを切々と感じました。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨愛をえらぶを続ける✨

 ではでは、今日も読んでくださってありがとうわございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆ 

上さま、テコ入れに協力するの巻✨

今日は一日頭がぼんやりしてたなぁ…( ´ ▽ ` )

ここのところ考えまくってショートしまくっていたので、丁度いいのかも知れません。

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本日の上さま。

今日は青木昆陽という人のお話でした。

青木昆陽という人は甘薯栽培…つまりさつまいもの栽培を研究した人です。

そばこは小3の頃にこの人の伝記絵本を読んだので割とよく覚えています。


3〜4年生の頃の担任の先生が伝記を面白おかしく話してくれる方で、興味を持っていろいろな伝記を読んだものです。

当時、そばこの近所の本屋さんには本に帯やビニールがかかっていなくて、立ち読みし放題でした。


なので、伝記コーナーの伝記を片っぱしから読んでいたのを覚えています…。

本屋さんのオーナーさん、本当にありがとう…

立ち読みばかりしていましたが、時々何度も読みたい本があって、母にお願いして買ってもらったり、なけなしのお小遣いで買うこともあったんですよ…。

たまには誰かが買わないと、新しい本が入らないんですもの…。

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暴れん坊将軍もまだ4話。

やっぱりテコ入れでしょうか?必要性の薄めな(笑)入浴シーンがありました…。

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鳶の辰五郎、め組の辰五郎にクラスチェンジしてますw

辰五郎の家でおはぎを食する上さま。

しばらく辰五郎の家に厄介になると上がり込みますが、妻のおさいは生活費がカツカツなのであまりいい気持ちはしていません。


お金を工面するために辰五郎に買ってもらったばかりの着物をコッソリ質入れしたりしています。(辰五郎は気付いていないらしい)


さて、

米が不作で値段が上がっており、上さまは飢饉対策に甘薯の栽培について関心を持ちました。

ですが、甘薯の研究をしている青木昆陽の仕事を邪魔する輩がいることがわかります。

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作戦会議をする上さま。

甘薯栽培がメジャー化すると、穀物の商売に影響を与えるのではないかと、悪い商人や利権が絡んだお偉方が組織ぐるみで昆陽の研究を邪魔していることが分かります。

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今日は怒鳴り込みのシーンがあって、サブちゃんの見せ場がたくさんありました♡

あの手この手で甘薯栽培を阻む悪い奴らにも屈しない昆陽に上さまも心を打たれ、栽培を成功させるために協力を決意します。

結局、最後は成敗され、甘薯はたくさんの人の命を救う作物となるのでした。


当時、栽培されていた甘薯は今そばこたちが食べているさつまいもと比べると全然甘くないのではと思われます。

当時は砂糖もとても高価だったと思うので、甘くてご飯の代わりにもなって、保存もきくし、害虫被害も少ない※甘薯は魅力的な作物だったのではと思われます。

(イナゴの大発生で稲の不作が起こっている


作中に、和菓子を扱っているお店もこの安価な甘味に脅威を感じて栽培の妨害に手を貸しているので、お菓子も今に比べたらそんなに甘くなかったのかな…?

上白糖やグラニュー糖みたいな糖度が高い砂糖ってまだ無いよね…。


久しぶりに昔読んだ伝記の人物の名前を見たので、調べ物をしたりして、興味深いエピソードでした。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨じいと風呂に入ろうと誘う上さまw✨

 ではでは、今日も読んでくださってありがとうわございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆ 

昭和の時代劇ラブ♡

今日は火曜日なので大岡越前DAY♪( ´▽`)


いつもの如くお父上を訪ねてお忍びにやって来た上さま。

お母上がお茶を淹れている隙に、お父上を伴って市中に出かけて行ってしまいます。

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んま〜〜!

とお母上。

でも全然慌てない(笑)。

流石の雪絵さんもあわあわしているので、お母上がどうしてこんなに慌てないのかと思っています。

「慣れているので何とも思わなくなりました♡おっほっほ♡」

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二人で楽しく街を散策していたら、近所で評判のワル(笑)に絡まれてしまいました。

若造に罵られても、着物に唾を吐きかけられても、

上さまを騒動に巻き込まないように耐えるお父上。(ステキ)


ま、結局相手が刀を抜いたのでチャンバラになっちゃったんですけどね。

かなり大勢のワル(笑)を相手に大立ち回りのお父上。

やっぱり殺陣のシーンがやりたいと知恵蔵さんからリクエストでもあるんでしょうか。

冒頭からアクションシーンで大変スリリング。

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刀を抜くわけにもいかない上さま。

様子を見ていたら、花売りの女の子(ジュディ・オングさん)にこんな所にいたら危ないと連れて行かれます。

ほうほう、とホイホイついて行く上さま。

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ワル達とのバトルは、源さんが来てくれて何とか収束したものの、上さまが居なくなってしまい、意気消沈のお父上。

上さまって、絶対行き先ちゃんと言わないで居なくなるよね…

この展開、大体お約束です。

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お蝶はじじさまと二人暮らし。菊の花を作って売ることで生計を立てています。

上さまはお蝶の家に「お茶を所望する」なんて言って上がり込みます。


じいさまがとっても困っているので尋ねてみると、借金のカタにお蝶を取られそうなんだということです。

亡くなったおっかあの治療費に金貸しから借りたお金が未だに返せないのでした。

そうかそうか、と上さまは持っていた財布をお蝶にあげますが、お金をもらうことは出来ないとはっきり断られます。


そんなお蝶に感心した上さま。

座布団の下に財布を置いて帰ってしまいます。

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いいことをした!とご満足な上さま。

ですが、それを聞いた若は、幕府の長となる方が施しを簡単にするものではないとお諌めします。

初めはグムーとなっていた上さまですが、上さまが渡した小判が原因でお蝶とじいさまが牢に入れられてしまう事件が起こります。


御正道に反したことをした(上さまは万民に平等でなくてはいけないので特定の誰かに施しをすることはダメ)ことを自ら省みていただくために、若は上さまにお白洲でお蝶とじじさまのもっていたお金が自分の施したものであることを証言するように遠回しに言います。


初めはそんなことできるか〜!って感じでしたが…

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最後は偽名を使ってお白洲に出向き、お金について証言するのでした。

自分の立場を改めて考える上さま。

分かっていただけて嬉しい若。

めでたしめでしたし…!


ここの所、ずっと内観フェアーだったので、久々に時代劇をゆっくり見られて良かったです。

昭和の時代劇って、ほんと面白い…!

月曜日の伝七、火曜日の大岡越前、夕方の暴れん坊将軍Ⅰ、いやぁ、最高ですな!


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨若の笑顔が眩しい✨

 ではでは、今日も読んでくださってありがとうわございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆ 

選択肢を変えること

今日は朝からリクエストで台湾カステラなるものを作りました。

パウンド型もスクエア型も無かったので、卵豆腐型を使って作成。

卵豆腐型はレアチーズケーキ作りにハマっていた頃よく使っていたものです。


カステラは湯煎焼きをするので、金属の継ぎ目から浸水する可能性がある型は使えません。

卵豆腐型なら漏れることも無いだろうと作ってみました。

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概ね予想通りの出来。

レシピの分量だと卵4個だったので、半分の2個で作ってあります。

カステラなので、卵は代替不可能ということで今回は使っています。

また、牛乳も豆乳にして良かったのですが、生地のしっとりした感じを出すのに牛乳の方が良いと判断しました。


小麦粉のみ米粉にしてあります。

カステラは牛乳と・油・ハチミツを温めて卵黄と混ぜたものに小麦粉を加えますが、米粉だとこの温めの温度が高すぎるとお団子状になってしまうので、温め過ぎに注意です。

そばこはちょっと高めにしてしまったため、混ぜているときに生地が重くなっちゃいましたが、固まったわけではなかったので何とか形に出来たんじゃないかと。


感想は…まぁ、美味しいんですけどね。蒸しパンみたいな感じでした。

日本のカステラの方がいいかな…?

久々に卵を使ったお菓子を作ったので、メレンゲ作ったりして結構楽しかったです。

1時間ほどで出来たし。

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今日もウォーキングに出かけて、彼岸花をたくさん発見✨

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シロバナ種はお家に植えてあるものを発見。

やっぱり、肥料とかやってると花のボリュームが違うなぁと感心。

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コスモスもたくさん咲いています。

夏もいつの間にか過ぎていって、季節が秋に移り変わっていきますね。

秋も穏やかで大好きです♡


ここのところ、ずっと心と向き合っていたので、ちょっとお疲れ気味。

昨日、ブログを書いた後、久々にガッツリイメトレしました。

長い間、「好きになったら相手を不幸にする」という思い込みがあり、

そこから掘り下げを続けると、「好きになったら自分も相手も不幸にする」ってずっと思っていたんだなと二重拘束を見つけた時に思いました。


好きになったら知らないうちに相手の嫌がることをしてしまう(らしい)

だいたい思いつくのは…

辛い時に心の拠り所として相手とやたら一緒に居たくなる

とか、

何でも自己開示してしまうので、相手にもそれを求めがちになる

(↑これってそばこ自身もすっごい嫌なことなのに人にもしてますねー…凹むわ〜

相手に我慢の限界が来て嫌われる(去られる)

気づかなかった自分に自己嫌悪

無意識に相手を傷つけた自分に自己嫌悪

生きてる価値がない(いつもの凹みの谷底へ)

自分から姿を消す(シャットダウン)


我慢の限界が来ているので、もう去ろうとしている相手は取り付く島もないことが殆どでした。

たとえ、話し合いのテーブルにつけることがあっても、もうそばこの話す全てが「めんどくさい」以外の何ものでもない状況なので、「ハイハイ、話は聞いてあげたでしょ、じゃ、サヨナラ」って感じで別れてしまう。


「めんどくさい」に入れらると、もうどうすることもできません。

て、言うかそばこがそこへ追い込んだからなんですがね…。

もう理由も分かってるし、自覚もアリアリ(やってもうた…)なので、自分に責任追求しまくり。


もう相手が繋がる気持ちが無いっていう選択をしたなら、その判断はその相手のものです。


じゃ、そばこがそうなってもどうしたいのか、って言うところを考える。

可能ならまだ一緒にいたいって思うなら…どうするか?

今までのそばこなら、姿を消す。

何もかもシャットダウンして、そこにいてごめんなさい、生きててごめんなさい、消えます、ってなっていました。


これからのそばこなら…


自分からは切らないようにするのが別の選択っていうことになります。

再び連絡が来るかどうなのかは相手の判断なので置いといて、少なくとも自分は繋がる余地を残しておく。

相手がコンタクトを取りなくないなら、距離を置いていつか再び相手にその気が起こるまで待つ。


永遠にコンタクトがない場合もあるけど、もう嫌だと苦しくてシャットダウンするという方法をグッと堪えて回避し、少しでも別の選択を取ることで、そばこの心に何か起こるかも知れないと思っています。


大事なのは、いろんなことがあって、上手くいかなくなっちゃったけど…

ただ「好きになっちゃいけない」と強く思っていた戒めを乗り越えて、それでも誰かを好きになったことそのものは評価していいと思うし、自分が少し変容した結果なんだと思うんですよね。


大好きな人とコンタクトが取れないって、本当に苦しいですけど、そこは我慢じゃなくて「忍耐(相手を信じて待つ)」していきたいところです。


いつもの凹みの谷底に居る時って、悲しくて惨めで苦しくてどうしようもありません。

ひたすら凹んで凹んでどうしようもない。


苦しくてシャットダウンすると、何だか償いをした気分になる。

自分を殺して、もう二度と相手の前に姿を現しませんと表明することで、赦しを得ようとしている(しかも一方的に)し、自分ももう相手と関わることはないと安心しようとしている。


それをしないでいると、やっぱりどこか不安でソワソワする。

シャットダウンで一連の関わりを終えるルートをいつも辿っているので、いつもと違う着地点を選ぶとすっごく不安になる。


(一方通行だけど)このまま相手を好きなままでもいいのかな?

そして、また誰かを好きになったり、信じてもいいのかな…?

わたし、またうまく人と関われなかったけど、また誰かと関わってもいいんだろうか…?


そして、

生きてていいのかな…?


いいよいいよ。

失敗じゃなくて、自分の甘え度を知るための練習だったんだよ。

間違ってたこと、上手くいかなかったこと、相手に侵入して傷つけたこと…。

自分は完璧じゃないから、そんなこともあるよ。


小さくなった自分と肩を組んで寄り添って、またやってみようって言える自分でありたいと思うし、不器用な自分を信じて、不完全さを許していきたいと思う今日この頃です。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨完璧じゃないからね✨

 ではでは、今日も読んでくださってありがとうわございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆ 

セッションから一夜明けて✨

今日は昨日かなり夜更かししたので、顔がかなり浮腫んでしまい…
顔洗ってウォーキングしてきました。

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お彼岸が近いと言うことで、彼岸花が見られます。

今日はシロバナ種をたくさん見かけました。

昨年には生えていなかった場所に生えているので(逆に生えていたところに生えていない)、連作障害??

彼岸花ってそんなのあったっけ…?

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白いのが赤いのと一緒に群生しているものも見られました♪

白い方がやや花が開いているというか、大きい印象がありますね。

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今日の琵琶湖。

金曜日にあったミーティングの音源を聴きながら歩きました。


昨日、セッションを受けてスッキリはしたものの、やっぱり傷つく出来事が起こって感情が揺れたら腹が立つし、涙が出る。


何でまだ腹が立つことがあるんだろう。

何でまだ泣くようなことがあるんだろう。


あるんだからもう「何で」を手放そう。


何でって、ムカつくんだから、悲しいんだから、だからムカムカするし、涙が止まらないんだよって。


自分を全然許せていないんだなって改めて思いました。

全然許せていない。

動揺したりすることを許せない。

怒ったり泣いたりする自分を全然許せていない。


別にいいじゃん、一人だったら泣いたって。

怒ったって、いいじゃん。

クッションとか殴ったらいいし、自分にはフォーカシングだってある。


これが世紀末救世主伝説の世界で、腐敗と自由と暴力の真っ只中(笑)ならば、

そして、そばこがモヒカンの屈強な男なら、その辺の弱い人から奪っていたかも知れない。殴ったり蹴ったりして虐げて自分の感情を爆発させていたかも知れない。


でも、そばこはそんなクレイジータイムな世界の住人じゃないし、この感情を人にぶつける以外の方法で何とかする方法をそれなりに知っています。


だから、もういいよ、小さい時は怒ったり泣いたりしたら大人たちから怒られたけど、もう誰もそばこを怒ったりしない。

一人でいる時くらいは、好きに感情を感じたらいいって許そうと思いました。


小さい頃、自分は孤独と絶望を感じながら何を思っていたのか、そして何て言ってもらいたかったのか。


怒ったり泣いたりして大人たちに子どもなりに精一杯抗議した時、怒られながら、

「ただ分かってほしかった」と思っていたし、

抵抗虚しく、大人たちが喧嘩を止めなかった時には、

「ごめんね、話を聞かなくて悪かったよ」

「ごめんね、どうしようもなかったから(自分のことで精一杯で)そばこの声を無視してしまったんだよ」

って大人たちに言って欲しかった。


でもその言葉を裏返すと、そばこ自身に現実を変える力がなかったことを許してあげないと、いつまでも当時の無力感に心が振り回されてしまう。

あの時、過去のトラウマの場面で、大人たちも無力だったし、自分も無力だった。ただ許すと言うのは、そう言うことなんだなって思いました。


かつて、人を嫌いになることを恐れていました。

どんなに嫌がらせをされても、心が少しも分かり合えないと思っても、裏切りがあったり、無視があっても、人を嫌ってはいけないとそれはもう親に厳しく言われていました。


だから、どうしても合わないと感じている人を一生懸命好きにならないといけないんだとと努力しました。


嫌なことをされても笑顔を崩さず、無視されても毎日自分から挨拶しました。

嫌いになると言うことは、親の認める理想の子どもから外れてしまう、そうすると親から見放され、自分は生きて行けないという子どもの頃感じた強烈な恐怖がそこにはありました。


誰とでも仲良くしないと、人間として認められない、我が儘で利己的な人間だと言われ続けたので、只管心を殺して生きていたら、ある時ポッキリ折れて起き上がれなくなりました。


這い上がる中で、ある心理療法の講座で、

「嫌いな人を無理に好きになる必要はない」

「嫌いなら嫌いのままでいい」

と講師が何となしに話しておられたことを聞いて、目から鱗でした。


ああ、別に好きにならなくてもいいのか…。

呪いが解ける瞬間でした。

そこから随分楽になったような気がします。

ただ、これは家族には受け入れて貰えず総スカンを食らって悩んだりしましたけどね。


でも、自分の心は自分だけのものだよね、と今は思います。

誰かの同意が要るとか、正しいとか間違っているとか、そういう問題じゃない。

ただ、そう思っているって自分が分かっていればいいんだと。


嫌ってはいけないと同時に、好きになってはいけないと言うのもありました。

ほんっとに複雑ですよね。

大好きになっても、どんなに信じていても、血のつながった家族でさえ、両親でさえ、過去の記憶のトラウマの場所では、そばこを置いて自分のしたいようにして去っていった。


もうちょっと大きくなった時の話では、学校が終わって、幼馴染と帰ろうとしたら友達に呼び止められたんですよね。

「あの子はそばこと一緒にいると恥ずかしいから一緒に帰りたくない」って言ってたわよ、と。


幼馴染は大人しくて自分の意見をなかなか言えない子でした。

知らない間に傷つけていたし、本当は迷惑で嫌々一緒にいたんだとショックを受けました。


大人になっても、恋愛でも友人関係でも、心を許して一緒にいたら、実はこれは嫌だったと本人から告げられて、去られてしまうこと多々。

知らないうちに相手の大事な部分に踏み込んで荒らしてしまっている。

自分って何てどうしようもない人間なんだと一気に谷底に突き落とされます。


人間って、他人に傷つけられるより、自分が知らないうちに相手を傷つけてたって言う事実を知る方がずっと痛い気がする。

自分の無神経さを知る瞬間って、ものすごくショックだし恥ずかしいし、悲しいし、ムカつくし、本当に自分が心底嫌になります。

自分の持つ全ての武器で自分を総攻撃しちゃうから、もうズタズタ、ボロボロです。


好きになると無意識に持ってしまう親しい相手への侵入への甘えというようなもの…

これくらいいいかな?許してくれるかな?許してくれたら相手は自分を愛してくれてる…?

みたいな、期待とか要求が混じった試すような行為。

思うような反応が無かったらショックで寝込むくらいの衝撃。


ま、基本的に子どもの頃のトラウマを考えると、どんなに頑張っても、何もしなくても相手に無言の期待とか要求を繰り返して、見えない圧で相手をゆるゆる絞め殺そうとして…結局ある日突然相手が目の前から消えるっていうのがいつものパターンですよね…。


好きになっても嫌いになってもズタボロですよ。

だから、好きにならないようにも一生懸命努力する。心が大きく揺れるような恋愛をもうしないともう決めている。

でも、コロッと恋に落ちてしまったら、もう恐怖しかない。

ああ、どうしよう、自分は期待と要求の権化になってしまう。

相手の気持ちを考えられない人間になってしまう。


人を嫌っても人としてアウト、

人を好きになっても人としてアウト、


もうこの二重拘束って何です⁈

そばこの心って、どっちも同じくらいアウトだったんです。

相手に特別な嫌悪を持つことや、特別な愛情を持つことが同じってどう言うことなん⁈

ですよ…。


どっちの心もそばこの心。

愛することも憎むことも、心の自由な動きとして許していいと思うわけです。

いいとか悪いとかそういうことではなく。


ああ、あの人嫌いだ!

今までなら、そんなこと考えちゃいけないから即蓋!

だったけど、どうして、何が嫌なの?それはどうしてそう感じるの?

と立ち止まって自分に聞いてみること、


ああ、あの人大好きだ♡

今までなら、好きになったって結局裏切って去っていくんだから即蓋!

だったけど、まずは好きな気持ちがあるってことをちゃんと認めて、歓迎したい。

なんで何も始まっていないのに裏切られると思うの?

なんで今目の前にいる人が去って行くって決めつけてるの?

って立ち止まって自分に聞いてみて、


とっても怖くて孤独な小さな頃の自分が心の中にいるなら、寄り添って手を繋いで


「だいじょうぶ、今は大人のわたしがそばに居るからね」


って声をかけてあげたいと思います。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨ひとりじゃない✨

 ではでは、今日も読んでくださってありがとうわございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆ 



久々のセッション✨

今日は久しぶりにカウンセリングセッションを受けてみました。

最後にセッションを受けたのはもう7〜8年前になるでしょうか。

今やっている心理学講座でのコーチングの練習とかでは交換セッションはしますが、お金をお支払いして受けるセッションはいつもと違う感じがしました。


今までのそばこなら、誰かに何とかして欲しくて駆け込み寺のようにカウンセリングやセラピーを利用していたかも知れません。

最後のセッションを受けてからずいぶん経ち、そばこ自身もいろんなことを学び、自身で癒しの道を探し続けるなかで、セッションにも自分軸を持って臨めるようになったと思います。


今回は自分の掘り下げを少しして、身体感覚を確かめながら過去のトラウマの場所へ降りて行き、子どもの頃の感情に繋がって、何が起きていたのかをしっかり確認することができました。

ナビゲートしていただけると本当に安心して辛かった場所に降りて行けるし、突然やって来るかもしれない身体感覚にも恐れずにいることができました。


変容を「見届けてもらう」と言うのは改めて意味があると思えるセッションでした。

そばこの経験で言うと、シータヒーリングでプラクティショナーが行う「見届ける」に今日していただいたことはとても似ていて、自分の中で過去に繋がって、その過去のトラウマを癒して今に戻ってくる。

今の自分なら何ができるのか確認する。


シータヒーリングやイメトレは一人でもできるので、セルフでやっているとこの見届けると言うのは客観的にはできません。まぁ、一人なので。

イメージの中で自分が変容したイメージをして戻ってくる感じです。

気になったら筋肉反射テストをして信念体系が書き換わったかを確認するくらいです。


そばこは今まで一つずつ浮かび上がって来る毎に、シータやイメトレで自分の信念体系や過去のトラウマにアクセスして書き換えやイメージによる癒しを行ってきました。

随分心は軽くなったし、癒しの道を探す前よりはずっと楽にはなりました。


でも、やっぱりステージが変わると新しい問題も出てくる。

今まで一人で出来たことでも、誰かの助けが必要になることもある。

今回は助けを求めることを自分に許可するという大切な意味もあったんじゃないかと感じています。


過去のトラウマにアクセスしている時、いろんな感情がどっと湧いてきました。

怒り、憎しみ、悲しみ、悔しさ、絶望感、無価値感…それを通り越すと、生きていても無駄だとか、もう死んでしまいたいとか、そう言うところまで。


そのトラウマの原因になったのは、そばこにとって最も身近な家族たち。

荒れ狂う真っ黒な感情と、いつまでも尽きず止めどなく溢れる涙。

でも、そんな中にもやっぱり愛はありました。

愛があるから、信じたいと思っていた。


いろいろなことを取っ払って、最後過去から戻ってくる時に、それでも私はこの人たちを愛していたと心から思うことができました。

ただ、自分の中に愛はあると思えるだけで、とても楽になりました。


そんな感じで、今日のセッションは終了。

寄り添ってくださったセラピストさんに心から感謝しています。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨素晴らしい気づきでした✨

 ではでは、今日も読んでくださってありがとうわございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆