そばこのハピ☆ラキ工房

モンハン歴14年☆心身ともに元気な狩人増加による世界平和の実現が密かな野望…☆

掘り下げのテクニック

今日は一日雨が降ったり止んだりなお天気でしたね( ´ ▽ ` )

インプット疲れもなんとか治ってきたところではありますが、午後から急遽今やっている心理学の講座のペア演習が決まりました。


そばこはこの心理学、スタートしたばかりで、演習の内容に関しては講師の先生から受けた2回セッションの情報のみ。

セッションの行程はプリントに明記されていて、クライアント役に順番に聞くようにはなっています。


セッション中や後にこの質問はこれだったな、と振り返りはするものの、相談の内容によっては行程通り行っていないようなところもあったりする。

その辺がそばこが実際に受けたセッションがその過程どれがどれに当てはまるかどうかわからなくなって迷うところだったり。


実際演習してみると、ここはこれを聞いていい、ここはこういうことを聞いてはいけない(趣旨から外れる)、知識や理解、経験不足がよく分かりました。

上手い具合に一緒にペアを組んだ方がこの心理学を既に学ばれている方だったので、そばこが聞き取りしている間にいろいろと教えていただくことができました。


ちなみにどんな演習だったのかと言いますと、


こうなりたい、という意図や現実の行動を妨げているものを特定し、誤解を解いて認識をフラットな状態にする、というもの。

このセッションは、その意図を妨げているもののうち思考の2元性に働きかけることに特化したものです。


誤解を解くと、その誤解によって誤認していた本来もつ自分の良さを再確認することができます。

それによって現実化が促進される、という感じでしょうか。


例えば、「自分はいつも後一歩のところで失敗する」といつも思っていたとします。

これって、未来の出来事に対してもフィルターがかかった状態になっています。


正直、失敗なんてしたくないのに、何でそんなフィルターをかけているんでしょう?

そう思っていることで何かしら自分を守っているってことです。

こういう状態に陥っている場合、結論も出ないので同じことばっかり考えてしまいます。


一体なんでそんなことを考えるようになったのか。

例えば小さい頃、親に失敗を見られた。

「あんたはあと一押し足りないねぇ」

「他の兄弟はちゃんとできるのにあんたはねぇ」

とか大人に言われてたなどのエピソードが浮かぶ。


そこで、外からの情報や評価によって、

自分は「常に」できない人間だ、成功できない、不十分だという自己評価が成立してしまう。

親からの評価はその時のその行動の結果によるものでも、ここにハマるとネガティブは時空を越えるわけです。


〇〇に言われたからこうなっちゃったんだ。

〇〇さえ、あんなこと言わなければ…!

って思う気持ちもあるけど、よく考えて、


〝自分は「常に」できない人間だ、成功できない、不十分だ

っていうの…

誰の誰に対する評価だっけ?


あ、自分やん


って気づく。


じゃ、本当はどうして欲しかったの?と掘り下げる。

・いつも失敗するって親に決めつけないでほしかった

・あたたかく見守ってほしかった

などなど、まずは親(身近な大人)に対する思いが出てくる。


これって、自分への求めではない。

親だろうがその辺のオッサンだろうが、教師だろうが、一旦口から出た言葉や、人に対してした行動はその体から放たれたらもうそれは受け取る自分のもの。


時系列で言うとその時点でその人本人が言った言葉や行動は「今」を過ぎたら終了している。

それをどう受け取るかは言葉や行動を起こした本人のもの。

本人が忘れてようが、「あんなこと言わなきゃよかった」と後悔しようが、それはもう自分には関係のないことです。


結局、自分の中で生じた自分への評価と向き合うしかないのです。

確かにその時、自分に何かしら詰めの甘いことがあって大人から呪いの言葉(おまえはいつもダメだな〜みたいなこと)を言われたとしても、その呪いの言葉はものすっごい責任感のない言葉なんですよね。

その時の今に対して言われたことを、後生大事に全ての事象と結びつけて考えていたっていいことは何にもないわけです。


そして、なーんにも考えてない他人の行動を今更どうこうしたってこの問題の核心には近づけないことが理解できますよね。


じゃ、自分はどうしたかったのか。ってことにフォーカスする必要がある。

・自分はできるって思いたい!

・一歩手前で躓くんじゃなくて、最後までやり抜けるって思いたい!


そこからまた過去に戻ってみましょう。


本当にたまたま、その時失敗しただけなんですよ。

なーんで全部失敗せなあかんねん。

何もかもそうだとは限らない。

やり抜きたい、最後まで頑張りたいって思うのに、後一歩で失敗する。

その先が未踏の地だから恐れている?

だから本当はできるのに「後一歩で失敗する」って予防線を張っている?


頑張ると失敗する

頑張ると怖い(その先を知らないから)

失敗は怖い(ここは経験則による恐怖)

失敗することで失望されるのが怖い(周りの人に)

だから頑張らない

頑張らないから現実でも本当に後一歩で失敗する


となっていることに気づく。

多分、ここはもうちょっと深く聞き取りに入るところかも。


失敗することがその人の存在を脅かす恐怖に繋がっており、それがどうしようもなく行動を抑制している。


例えば、この場合、

失敗する=自分は無価値である

という対立した思考があったと仮定する。

失敗しても別にそれはその人の価値とは関係ないし、

人の価値とはたったその一つで決まったりしない。


失敗することだってあると自分を許すこと、

自分にはただ存在するだけで価値があるということ、(自分自身の存在を許すこと)、


に気づくと少しずつ気持ちが晴れてくると思いません?


じゃ、本来の自分ってどんなんだろう?っていう問いかけに移ります。

・自分に自信を持つ

・チャレンジしてみる

云々。

ここで、更にこの心理学特有の文言を使った表現が出てきて、本人を気づきへと誘導している感じがしました。

流石に割愛。


なぜかと言うと、そばこ自身がまだこの文言を操り切れていないからです。

正直、応用できるほど語彙がない。

ここまでの説明も、特有の文言がたくさん出てくるんだろうけど、正直そばこは分からないので既存の知識だけで進めていった感じです。


こういった答えの出ない思考や感情に根ざした思い込みへのアプローチは、シータヒーリングのセッションの「事象の掘り下げ」の段階で出てくることにすごく似ています。


ただ、このセッションは思考に特化したものなので、シータのように感情と思考を混ぜてあの手この手で真相にある葛藤や二重拘束にたどり着く方法ではダメみたいで、経験や知識不足で自分の既存の知識を使うしかなかったそばこには何がダメで何がいいのか正直判断しかねるところがたくさんありました。


何か、感情を聞いている部分はあるんですよね…

今までの自分が受けたテストセッションの記録を見ていると…。

たまたま違うことを言っていても黙って聞いていただいていただけかも知れませんが。


シータの実践会などでこの掘り下げは結構エクササイズとしてやりますので、そのおかげで葛藤や二重拘束の思考に気づくのは割とできたし良かったです。

精度が上がればもっと早くサクサク真相に辿り着く例も他の演習ペアであったので、できたらどんな風に演習しているか他のペアの様子を見ることができたらいいのになぁと思いました。


いやぁ〜〜〜、今日は超脳みそ使った!


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨あふれそうだ!


 ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨ 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨

いっ〜ぱいふりつもる〜☆