そばこのハピ☆ラキ工房

モンハン歴14年☆心身ともに元気な狩人増加による世界平和の実現が密かな野望…☆

愛を選ぶ瞬間③

今日は昨日の筋肉痛がずーんと来てます。


さて、昨日の続きです。


祖父母は、人を恨んで憎み続けて亡くなっていきました。


二人とも、やっと死によってあらゆるしがらみから解放されたというのに、苦悶に満ちた表情で亡くなっていました。


それを想うと、

違う道を選ぶことができると分かっているそばこが、

同じことをするわけにはもういかないと思っています。


自分も人も愛することも愛されることも分からないまま、

愛を感じることをできないくらいに誰かを憎んで恨んで死んでいくことがこんなにも悲しくて、

自分も周りの人達も不幸にしてしまうんだと祖父母はそばこに教えてくれました。


二人は男の子を育てたい一心で、6人の子どもをもうけましたが、5人が亡くなりました。

生き残ったのは母だけでした。


結婚は二人の同意ではなく、祖母の家の借金問題を婚姻で解決した形のものでした。


男の子を育てたかった祖父母は、母が生んだ兄を我が子同然に愛して、子育ての機会を母から取り上げました。


そばこにとって、祖父母は兄のもので、遠い存在でした。


いつも怒っているか、愚痴っているか、恩着せがましい恨み言を言われて、

言うことを聞かなければそばこの人間性を疑うようなことを言い捨てる厄介な人たちでした。


お年玉やお小遣いを貰うたびにまとわり付く見返りを求める言葉が嫌で、

次第に素直に喜べなくなっていきました。


そばこから好意を寄せても、なんだお前か兄が良かったのにと言葉や態度に出ることも多々ありました。


この人たちは結局兄がいいんだ

兄に大事にされたり、喜ばれたりすることが大事で、

兄に受け取られ無かった愛のおさがりをいつももらっている気がしていました。


介護の場面でも、そばこが一番祖父の介護の手伝いをしていましたが、兄妹の中で一番初めにそばこのことが分からなくなったこともショックでした。


なので、そばこも祖父母からの愛を受け取れず、愛を伝えることもできないまま別れてしまいました。


本当は祖父母に愛があったかも知れないのに、イメージに囚われて目の前の世界が歪んで見えていた可能性があります。

それって、なんて不毛なんだろうって思います。


初めからそこにはずっと愛が変わらずあったかも知れないのに、気がつかないなんて。


父を見て、自分のしてきたことの結果を突きつけられる現実に直面するたび、

自己責任を感じます。


あの時父がこうしたから、こう言ったから、それで傷つけられたから


だからわたしはこの人を軽蔑するし、

恨んでるし、憎んでるし、許さない。


父とも家族とも思いたくないから関わらない。


でも、父が憎しみを祖父に虐待という形でぶつけたようなことはしない。

だから存在を無視する。


って自分の復讐を正当化していました。


かつてはこんなことばかりが浮かんで頭の中を支配していました。

父の姿を見たり、声や動作音を聞くだけでイライラが掻き立てられ、どうしようも無かった。


父の子である自分にも、

父のような狡さや残酷さがあると気づくたびに自分のことも大嫌いになっていきました。


そんなそばこに父の途方もない孤独を気づかせてくれたのは、

やっぱり自分を癒すための探求だったと思います。


外から見たら平和な家庭に見えていただろうけど、それぞれ異常な状態にあったし、

「うちはマシな方」と母に無理矢理納得させられていたところもありました。


確かに、家があって、ご飯が食べられて、寝床があって、毎日着る服がある。

学校に行けて、家族には就ける仕事がある。

両親がいてそこそこ健康な身体があり、

歩いたり走れたり、自分でトイレに行くことができる。


生活基盤はあって、幸せな土台はある。

それらが満たされない生活をしている人もたくさんいる。

そのことについて、自分がどう感じるのかはまた別の話なんですよね。


外の世界で自分の境遇よりももっと大変な人達がいるのは現実の問題としてあるけど、

今自分の環境の異常がなくなるわけではない。


比べて何かが変わるわけでもない。

自分の方が恵まれてるから納得しなさい、というのはやはり、今ここの感覚から離れていると思うのです。


人の悩みや苦しみは相対的なものではなく、絶対的なものだから。


みんな違う人生だから、感じる感覚を同列にして比べることはできないし、

幸せや不幸や愛や憎しみを数値化して比べることほどナンセンスなことは無いとそばこは思っています。


10分の時間を短く感じる人もいれば、長く感じる人もいる。

短く感じる人が、場面によってはそれを長く感じることがあったりもする。


人の感覚や感情は、海のように止まったり動いたり揺れたり波打ったり続けている。

毎瞬変化し続けているから、感覚や感情はその人だけのものだってよく分かる。


そして、自分の心なのに分からない領域がある。


他人に想像することはできても、それは自分の経験からしか想像することはできないから、全く同じ感覚感情は感じられない。


その自分と他人との肉体やエネルギーなどによって境界づけられたエリアは、近くにいるけど途方もなく遠い。

それが個体としての違いなんだと改めて思うと、本当に人間って不思議だと思うのです。


誰かを愛すると、相手を知りたいと思うけど、どこまでいっても、それは自分の中でしか無いんだなぁと。


感覚感情をブロックしているトラウマを癒すと、それによって感じられなかった感覚感情が感じられるようになり、

新たな領域の扉が開いていって、もっと自分が分かるようになっていく。


そうしたら、またその分、誰かにも近づくことができるかも知れない。


自分の内側の世界の広がりは、

外の世界へも広がっていくことなんだと改めて感じるのでした。


ハピラキ〜\( ´ ▽ ` )/✨広がる〜!

ではでは、今日も読んでくださってありがとうございました😊✨ 

 

 今日もそばことみなさんに愛💕とハピラキ✨
 
いっ〜ぱいふりつもる〜☆